とんでもない思い違い
さだまさしの『セロ弾きのゴーシュ』(1977年アルバム『風見鶏』収録)の歌詞です。長い間、気にしつつも調べないままになっていた歌です。
Celloにはオン・ザ・ロックが似合うと
飲めもしないで用意だけさせて
ひとつ覚えの サン=サーンス
危な気な指遣いそしてボウイング
歌詞を確かめるのも容易ではなかった高校時代、この歌を何度も聞いていたのにとんでもない勘違いをしていました。
「一つおぼえの三歳、危なげな指遣いそしてボーリング」
あまり深く考えることなく、三歳児がボーリングすれば危なげな指遣いになるよな、なんて思っていたのです。なんたること!
勘違いは続く
歌の前奏にとしてバイオリンで『白鳥』が弾かれます。曲を聴いたことはあっても、作曲したのがサン=サーンスだとは知りませんでした。知ったのは大学時代、『動物の謝肉祭』の全曲を解説付きで聞いたときでした。それでもまだ、「危なげな指遣いでボーリング」してるとういう変な解釈のままでした。一度思い込むとなかなか気がつかず、訂正できないものですね。その後も勘違いしたまま過ごし、いつしか記憶の奥底に沈んでいたのです。
40年経って謎が解ける
それがつい最近、ミケッタさんの記事で謎が解けました。
miketta-violinista.hatenablog.com
この記事で「フィンガリング(指使い)」と「ボウイング(弓順)の決め方」について説明されています。さらに
さまざまなタイプの演奏を聴き比べてみる事は、とても勉強になりますので、ぜひその違いを楽しみながら研究して「ご自身の表現」を見つけてみてくださいね!
とのこと。
つまり、指使いとボウイングにはその人なりの表現がある。
なるほどと納得しつつ、はっとさせられました。
40年近く放置されていた謎が再浮上し、すぐ歌詞を再確認。「危なげな指遣いそしてボーリング」ではなく「危な気な指遣いそしてボウイング」と知ったのです。歌詞の確認が大変だった頃と違ってネットは便利ですね。
また、ミケッタさんの他の記事も合わせると、私のクラシック音楽への関心が、曲の好みや、作られた背景、思い浮かぶ情景などばかりに向き、演奏方法や技術、奏者の思い、練習の内容にほとんど無頓着だったことに気づきました。演奏を聴き比べることは、自分好みの演奏を知ることにもなりそうです。おそらく、それができれば奏者の個性も見えてくるのでしょう。
演奏自体にも個性があるなら、バイオリン曲の「ボウイング」と「フィンガリング」を決めるのも、指揮者や仲間がちょっと相談すればそれで上手くいくなんて簡単な話じゃないと思いました。指揮者と奏者、或いは主催者それぞれのせめぎ合いの中で、譲歩や妥協、また互いの納得で一致点を見つけていくのだろうと思います。どんな演奏にも、そうした過程があって、究極の一致点に達した時、最高の演奏になるのかも知れません。
小学校の音楽会で、リコーダーの練習中「そこで、息継ぎしない!」なんて怒られたことがありました。次元は全然違うでしょうが、プロの奏者でも、いえ、プロだからこそ一層、指揮者との思いのズレはありそうです。映画の裏話で俳優と監督の間でも似た話を聞きますから、一つのコンサートでも魂のぶつかり合いはあると思います。演奏の奥深さを少し垣間見た気がしました。
ミケッタさんのおかげで、一気に「 危な気な指遣いそしてボウイング」の歌詞の意味が鮮明になりました。ありがとうございます。
『セロ弾きのゴーシュ』を聴き直す
そうか、歌の中でセロを弾く人はあまり上手ではないのでしょう。でもその相手の前で弾くのが好きなのでしょう。本人は、できるだけ気取って、格好つけようとして、オンザロックを用意させるわけです。でも、弾ける曲は一つおぼえのサン=サーンス『白鳥』のみ。それを知っているから、演奏を聴く人の目には「危な気な指遣いそしてボウイング」に映ったのでしょうね。
『セロ弾きのゴーシュ』の歌詞はこう続きます。
まるで子どもの様に 汗までかいて
悲しすぎる程 優しい人
わたしはいつでも 涙うかべて
楽し気なあなたを見つめるだけで 幸せだった
下手でも一生懸命に弾く奏者と、それをしっかり見つめる聴者。 お互いの思いやりが込められた歌なんだと気づいたのでした。
youtube で見つけたリンクを貼っておきます。
ラジオでのトーク付き。歌の開始は1:00辺りから。
※ 尚、この歌と宮澤賢治の同名のお話とに内容的な繋がりはありません。
鎮魂歌と応援歌
『セロ弾きのゴーシュ』は、亡くなった Cello 奏者の演奏に思いを馳せる形で描かれています。でも、さだまさしの経歴を考えると別の側面も見えてきます。
さだまさしは、幼少の頃からバイオリンを習い、中学生でプロのバイオリニストをめざし単身上京して修行を重ねます。しかし道は厳しく、高校受験も失敗。希望とは別の高校に進学するものの、失意の中バイオリンの夢をあきらめることになります。でもそこで別方面のさまざまな才能を発芽させ、やがてグループを組み歌手デビューするのです。
それ故に『セロ弾きのゴーシュ』を発表した当時のさだまさしが、少年時代に挫折した自分に贈った鎮魂歌のようにも聞こえてるのです。同時に、今、頑張っているのに上手くいかない全ての人への応援歌にも思えます。
上手ではなくても個性として聴いてくれる人がいる幸せ。それがたとえ、未来の自分だったとしても、そこには大きな意味があると感じます。
Cello とバイオリンの違いはありますが、それを歌っている気がします。
「あなた」とは
歌詞のラストはこうです。
あなたの残した 大事なCello を 一人で守る
守っている証として、前奏部分が『白鳥』のソロになっているのでしょう。
さだまさしが高校時代に使っていたバイオリンは、生活苦で質屋に入れてしまいます。それを友人がお金を出して取り戻してくれたのだそう。その後はずっと大事していて、前奏で弾いたのも同じバイオリンだと数年前に知りました。
ここでの「あなた」は友人であり、その友人と出会った若い自分でもありそうです。
もっと言えば、十分な成果を残せずとも努力したすべての人とも言えそうです。
いつものように私の深読みし過ぎと思いつつ、さだまさしの中で好きな歌のひとつとして『セロ弾きのゴーシュ』が急浮上しました。
さだまさしプレイリスト
このブログで「さだまさし」が入るのは何度目かと思い、ブログ内を検索すると9回ありました。今回で10回目です。さだまさしファンを自認はしていましたが、振り返ってみると思っていた以上に影響をうけていたんだなあと思います。
扱ったのは、『主人公』、『前夜(桃花鳥)』、『甲子園』、『吸殻のある風景』、『不良少女白書』、そして、『セロ弾きのゴーシュ』の6曲ですが、他にも下書きで止まっている歌もあります。
一つだけリンクを貼っておきます。
~~~ ブックマークコメントへの返信 ~~~
ミケッタ (id:miketta-violinista)さん
> 私の記事でも紹介させていただいてよろしいでしょうか?
ありがとうございます。
もちろんです。ミケッタさんに記事を公認していただけるようで嬉しいです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今週のお題「わたしのプレイリスト」