雛祭りと言えば、雛人形がパッと思いつくけれど、そう言えば、雛人形についてはかなり記憶が限られているなと気が付いた。
子どもの頃
小学生の頃、あまり男女を気にせず遊ぶ子どもだったので、雛祭りに呼ばれたことがある。行って見ると、既に雛人形は飾られており、触るのは駄目、見るだけ、と言われてがっかりしてしまった。
『ひな祭りの歌」に「あかりをつけましょ ぼんぼりに」、「お花をさしましょ 桃の花」等の歌詞があり、歌の通りに飾っていくのが雛祭りだと思い込んでいたのだ。そんなイメージととのギャップや、眺めて楽しむというのがよくわからず馴染めずにいた。
また、当時は五月の節句は子どもの日で男女ともに学校を休んで祝うのに、女の子だけさらに雛祭りがあるのずるいと妬みにも似た感覚があった。それらの影響で、雛祭りを自分から遠く離れたものと思い込んだのだろう。
10年近く前
再び興味を持ったのは、10年近く前にどこかのホテルだったかのロビーにあった雛飾りを見た時だ。何だか違和感があって、じっと見ると男女の位置が逆になっている気がした。向かって右にお内裏様、左にお雛様。まさか、大勢の人が行き交う場で間違って置くはずはないだろうと当時のガラケーで検索すると、主に京都を中心した地域での飾り方で京雛と言われるそう。一方、向かって右にお雛様、左にお内裏様は関東雛と呼ぶらしい。
また、七段飾りが正式な飾り方だと思っていたが、元々は簡素な男女一組だけの流し雛だったという。
時代が進むにつれて華やかに大規模になり、江戸時代に広く定着した様式だそうだ。しかも、段々と大きな人形が作られるようになり、一時は大きさに制限をかけたという。すると、次には小さい中に華やかさや繊細さを極めていく流れができ、技術も高められていく。こうした経緯も興味深い。
これらを親の見栄や欲と考えるか、娘への思いの強さととるかは人それぞれ。また、雛祭りの日に飾ってもらう娘の捉え方も人ぞれぞれのよう。
ただ時代を経ても大事なのは親と娘の関係、結びつきだろう。ただ形だけ飾って仕舞うのではなく、母やそれ以前の雛祭りを娘に伝えたり、継承する思いを知ってもらったりして、家族や行事が子どもとの間にしっかり根付いて欲しい。はてなブログでもそんな記事があちこちで見られるのが嬉しいと思う。
今週のお題「雛祭り」