tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

私と煙草(2)喫煙、勝ち煙草、節煙休煙、本格再開

告白します。喫煙のきっかけは大学時の失恋でした。その後、勝ち煙草や、煙草での遊び、煙草のルールを決めた節煙、一時休煙、本格再開と紆余曲折しながら、喫煙のスタイルが決まっていきました。

 

 

※この記事は『私と煙草(1)煙草を吸ってはダメ!』の続きです。

 喫煙の定着

大学2年の冬まで、私が煙草を吸うなんて思ってもいませんでした。それが、吸い始めてから日常的に吸うようになるまで2年弱。短いのか長いのかはわかりません。

 

喫煙のきっかけ

初めて煙草を一本吸ったのは1987年2月です。きっかけは失恋でした。落ち込んでいるところに先輩から吹っ切るきっかけになると言って煙草を一本渡されたのです。口に咥えると先輩が火を着けてくれました。その時、ああ、この感じ、映画『さらば友よ』のワンシーンみたいだと思ったのも憶えています。とは言え、吸ってすぐむせ返ってかなり咳込んでしまいました。一本吸うのは無理に思えたのですが、先輩から深く吸い込まなくていい、口に含んで出すだけで気分転換ができる等と言われて、結局一本を吸い終えました。その時は煙臭さに閉口して、自分から吸おうという気持ちにはなれませんでした。

 

でも、それ以降、腹を立てた時や疲れていた時等、何かの拍子で先輩から煙草を勧められるようになりました。先輩は気持ちよさそうに深く吸う人でした。私も段々と煙に慣れ、深く吸うことに抵抗を感じなくなっていきました。やがて、私が時折に煙草を吸うことを知った同級生からも、勧められるようになります。まだ自分で煙草を買うことはなく、もらい煙草を時折吸う程度でした。

 

勝ち煙草

この記憶はあいまいな部分もあり、記憶違いの可能性は大きいのですが、映画『麻雀放浪記』にも通じる勝機を呼ぶ吸い方として憶えています。

 

学生時代、将棋部に所属していました。大会で他大学との対戦(ただし私は補欠戦出場)も経験しました。当時は対局時も喫煙可能でした。先輩の話では、対戦時用の煙草の吸い方があるとのこと。

曰く、「劣勢の時には吸うな、これで勝てそうだと思った時に吸え。」です。つまり、劣勢の時に焦る気持ちで吸うと読み間違いが増えるし、相手の優勢を告げることになって勢いづかせてしまう。逆に、勝てそうだと思うときに吸うようにすれば、相手は焦り、こちらは一息ついて冷静に局面を判断できるというのです。 

f:id:tn198403s:20210301215302p:plain

将棋に勝つ煙草?

まだ自分で煙草を買うことがなかった頃です。でも、勝利を祈念して先輩からもらった煙草一本とライターを胸ポケットに対局に臨んだような記憶があります。ただし、対局内容の記憶はありません。

 

将棋に強い嫌煙派の先輩は、「そんな煙は扇子ではたいて相手を煙に巻いてやる」と笑っていました。実際、横で観戦してたとき、劣勢だった先輩が相手の煙を扇子ではたき、見事逆転したことがあります。というか、その先輩が目の前で負けたという記憶がありません。

 

ともかくその頃から、煙草を吸うタイミングも意識するようになったのは確かです。

 

自分で煙草を買う

自分用に初めて煙草を買ったのが、1988年の8月。就職の当てが外れて進路をどうしたものかと落ち込んでいた時に煙草を吸おうと思い立ち、マイルドセブンライトを1箱購入したのでした。

f:id:tn198403s:20210301194253p:plain

当時のマイルドセブンライト イラスト

そして友人から別の気分転換方法も教えてもらいました。興味はあったものの、手を出さずにいたファミコンを約一か月貸してくれたのです。貸してくれたソフトが『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』で、見事にはまってしまいました。都合よく大学も夏休みで、その気になれば幾らでもゲームに没頭できる環境でした。

 

人生で一番ただれた一か月だったように思います。その間の食事はパンやカップ麺が急増。そこにビタミンやミネラル不足を補うために野菜ジュースや牛乳を流し込みます。また安いウイスキーを水割りにして飲んでもいました。煙草は1箱を2~3日で吸うペース。

 

部屋の中に灰皿を置いたのもこの頃。ゲームをしながら煙草を吸い、簡単な食事をし、眠気とも戦う感じで没頭します。ゲーム途中で眠り込み、目が覚めたらすぐコントローラーを持つ。そんな感じでした。

 

節煙を知る

そんな私を心配してくれたのでしょうか、同級生と後輩のカップルから手作りの食事の誘いを受けます。何を食べたかは憶えていませんが、食事の後、喫煙者の後輩が煙草を吸う前にメモに正の字の印をつけていたのを憶えています。その理由が、彼女との約束で煙草は1日7本までと約束しているとのこと。メモを見ると、どの日付の横にも正とTの字がきれいに並んでいて、感心しました。

 

1日何本とルールを決めるのはいいアイデアに思えました。その時に思い出したのが、高校時代に読んだ科学雑誌の「生涯に吸った本数が20万本を超えるかどうかで大きな違い」の解説です。1年365日。1日10本なら1年で約3650本。でも、10本にならないことも多いので9本とすれば3285本。3年で約1万本。30年なら10万本。20万本になるまでには60年は吸える計算になります。これならリスクを低くして、煙草が吸えると考えたのです。

 

どういう因果か、友人の喫煙をやめさせるために知った知識が自らの喫煙を後押しすることになるとは、皮肉というか、何がどうつながるか、わからないものです。

 

それから、煙草を吸うとき必ず今日の何本目かを思い出しながら吸うことになりました。それでも、1日10本を超えることも幾度かありましたが、その前後数日間の平均で10本に収めるようにしていました。

 

休煙の後で本格的に喫煙

大学最後の夏休みの後、しばらく煙草を中断します。周囲には禁煙ではなく休煙だと話していました。私としては進路や卒業論文準備のため、ゲーム断ちをするとの思いからでした。進路も決まり、本格的に卒論に取り掛かり始めた頃、周囲に1日10本までのルールを維持しての喫煙再開を宣言しました。

 

この頃、煙の輪を作る方法を憶えました。また、手の平に一本煙草を乗せ、もう片方の手でぽんと叩いた拍子に煙草を空中で一回転させて口に咥える技も練習しました。煙草ケースのフィルムを引っ張り出し、煙草の熱で穴をあけて煙を吹き込み、とんとんと叩いて小さな煙の輪を何個も作ることもしました。

 

一方、煙草を吸った後でティッシュ越しに煙を吐き、煙が通った部分が茶色く染まるのを見せて、吸い過ぎは良くないと注意したこともあります。高校時代に得た知識で吸わないのが一番だと話したり、煙草は吸うもののヘビースモーカーにはならないと語ったり。

 

でも、振り返ってみれば、煙草の中断や再開の言い訳や宣言、煙草を楽しんでいるように見せたり、煙草の害を話したりしたのは、やはり喫煙に後ろめたさを感じていたからでしょう。在学中に禁煙や節煙を宣言してできなかった人が、周囲にちょっと冷ややかな目で見られることも知っていました。自分はそうした人と違うのだという思いもあったのだと思います。

 

結果的には、卒論を書きながらの一服が日常生活のリズムになっていきました。文章についてあれこれ悩んでいるときではなく、ひとまず文章を書いて読み直すときに勝ち煙草のように吸いました。また、食事の後、卒論に取り組む前の気分転換として吸う。

吸うタイミングを考えながら1日10本以内--。

そんなスタイルが定着したのです。

 

世の中に少しずつ禁煙の流れが出始めた頃でした。

  

(続く)  

  

今週のお題「告白します」

 

----------------------------

なお、この記事は、5つの話題宣言

の中の「5.禁煙と喫煙のこと」の話です。