問題
2つの円Aと円B、さらに直線Cのすべてに接する円を思い描いてください。また、円はいくつ描けるでしょう。
ここでの「接する」とは、「円周が一点だけで触れる、くっつく」の意味です。きちんと作図することはできなくても「この辺にこんな感じかな?」とイメージできるだけでOKです。
答えは見つけやすいとされる順に並べています。イメージしたのとは別の答えが先に出てくることもあると思います。思いついていない答えを先に見てしまうことを避けたい人は十分に考えてから答えを見てください。
答え1
一番見つけやすいとされる答えです。
(答えは1から順に見ることを推奨します。)
答え2以降
二番目に見つけやすいとされる答えはこちら
※ 隠し記事の一部をクリックで表示する方法を1ページに複数回使うことができなかったので、それ以降の答えを別のページにしています。
やっぱりすぐに全部の答えを見たいという方はこちら
知ることと考えること
上の問題を知ったのは大学時代です。自力で思いついたのは答え2までで、後はヒントをもらいながら、最後の答えまで行きつきました。
この問題を好きな理由は2つ。
- 自分の発想の狭さが気づけること
- 答えを知ってから考える大切さ楽しさに気づけること
とりあえず、今の知識でできることから始まり、もうこれで十分だろうと思うところまで来ても、まだその先があると知れば、再び考えてみる。
ちょっと大げさな話になりますが、人生ってこの繰り返しって気がします。
たとえ自力で答えに辿り着けなかったとしても、自分で考えたかどうかで得るものの大きさが違ってくると思います。何も知らず、何も考えずに答えを見ると、答えを眺めている感じがすると言えばいいでしょうか。
星の名前を知らずに星空を眺めるのと、いくつかの星を手掛かりに観ることとの違い。
食材を知らずに料理を楽しむのと、食材を知って味わうこととの違い。
この問題で言うなら、円の特質を知らずに解くのと、知ってなお考えることの違い。
知ることで考える深さが変わり、考えることで得る知識の量や質も違ってきます。同じ知るなら何らかの考えをもとに知る方が新たな気づきや楽しみもあると思うのです。
気づくこと
上の問題でヒントをもらって答えにたどり着いたとき、小学校でのクイズ(パズル)が結びつきました。こんな問題です。
前半の問題は簡単でいろんなパターンが見つかると思います。どんどん答えが出せるので、つい簡単な問題だと油断してしまいます。
でも、後半の問題では思考が止まってしまい、今までに出した答えを振り返っても、3回曲がるだけで9つの点を全部通る答えはないのです。
クラスのお楽しみ会だったかで出され、みんなしばらく考えたものの誰も答えを見つけられません。「3回しか曲がらない答えなんてない」とみんなが言い出した頃に、「これです。」と出題者が答えを描きました。
「それはずるい!」と言い出す子もいましたが、それまで考えもしなかった発想に納得する子も。私も「やられた!」と思いました。
答えはこちら
前半で意気揚々と問題を解いていたから強く印象に残ったのでしょう。気づく難しさはいろいろ考えたからこそ感じ取れるように思います。
「答えが出せなかったら意味がない。」という人もいますが、それは違うと思います。確かにテストでは、考えることなく答えを見て憶えた方が正解を得て点数にしやすいです。考える時間を省ける分、効率がいいとも言えるでしょう。
でも、そこには考える体験も気づく体験もありません。「答えが出せなかったら意味がない」というのは「思考や気づきに意味はない」というのと同じだと思うのです。
考えれば気づけるというものでもないですが、考えずに気づくよりは圧倒的に可能性が高いでしょう。そして、気づけなかったことに気づくことは、思考を柔軟にし、気づきやすくなる一歩となるのではないでしょうか。
星を観て星の動きに気づく。料理を食べて食材の魅力に気づく。
知ったことで考え、さらに気づいていく。
そうありたいものです。
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<余談 ブログの過去記事から>
この場を借りて、「考えること」に焦点を当てた過去記事を紹介します。
自己満足の記事とも言えますが、興味がある方は読んでもらえると嬉しいです。
「人間は考える葦である」(パスカル)の意味を私流に考え、結論として「人間なら考えろ」という意味に行きついています。
小学校の国語の教科書にあったお話をもとに、考える過程を文章にしました。
教材から、どうやって考えたらいいか、どうすれば気づけるかのヒントをもらった気がします。
以上、私流の勉強法、と言いうより、学び方、知り方、考え方、気づき方という感じです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今週のお題「私の勉強法」