tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

真冬午前2時からの勉強(シャワー、暖房、道路で大の字、ラジオ)

高校時代の冬、朝型学習の様子です。

普段の学習なら4時起きですが、テスト前などには2時に起きることもありました。目覚まし代わりにステレオの音楽をセットしていたのですが、何しろ真夜中です。直ぐに音を小さくしないと二部屋離れた両親まで起こしてしまいそうで、音楽が流れる前のカチャッという機械音で起きることも多かったです。

 

 

午前2時

目覚めのシャワー

午前2時、寒くて体が目覚めていないこともありました。そんな時、熱めのシャワーを浴びていました。冬のシャワーは出た後で体を冷やすと言われましたが、浴室から出る前にかなり熱めのお湯を首筋から背骨に沿って1~2分流してやると、全身がホカホカ温まるコツに気づきました。それから脱衣所で背中を中心に乾布摩擦。やりすぎてヒリヒリしたこともありましたが、体は温まります。

 

服をすぐに着ると逆に汗をかいて体を冷やしてしまいそうでした。寒くても体をしっかり拭いて水滴を取る。身体が熱い内からシャツを着ると、汗で出てシャツが濡れるのでNGでした。ある程度の暖かさになってから服を着て、いざ学習にとりくみます。シャワーの難点は、やはり時間がかかること。30分くらいはかかります。

学習が切羽詰まっているときはシャワー無し。お湯で顔だけを洗っていました。

部屋での暖房

私の部屋で石油ストーブは使用禁止でエアコンもまだついていません。防寒は、電気ストーブと足入れヒーター、あとは着膨れするほどの厚着です。ノートや鉛筆が冷たくて、手袋をして勉強したこともあります。

ポケットに手を入れて考え、わかったら手を出して書くなんてことも。 

f:id:tn198403s:20200303201900p:plain

防寒対策の電気ストーブと足入れヒーター

大抵、暖かいコーヒー(インスタントで砂糖、ミルクも入れる)やココア、あめゆで温まりながらです。気がつくと汗ばんでくることもありました。足入れヒーターや上着を脱いで、す~っと涼しくなるのが、心地良かったです。

 

午前3時

定番のラジオ番組が始まる時間。

また気分によってセットテープで、クラシックやアニメ映画の音声などをBGMに流していました。

調子のいいとき

調子がいいと、一番勉強がはかどる時間帯に入っていきます。問題集を解くのが中心ですが、不意に思いつきの類似問題を作ることもありました。(もし、こう考えたらどうなるんだろう?)と横道にそれるのは、当時から変わらぬ私の変な癖です。

 

それが良い類似問題になっていれば良いのですが、悪い類似問題だと上手く解けず、どんどん時間を失います。ただ、時間のロスにはなっても、これが問題の意図をつかむ学習にもなり役に立っていた気もします。

 

その後、飲み物を入れ替え、軽くお菓子を食べるなど少し休憩をとる時間帯になることもありました。学習疲れに糖分が有効と聞き、チョコをつまむことが多かったです。

 

調子の悪い時の気分転換

時に、ふっと誰かに私がここに押し込まれて、無理やり勉強させられてる気分になってしまうこともありました。そんな時は、ラジオに耳を傾け、放送を聞きます。また部屋の電気を消し、この世からぽっかり切り離されたような感じを楽しむこともありました。暗い部屋の中はステレオセットとデジタル時計、電気ストーブの緑、青、赤の光。箱庭の夜景という感じ。 キャンプファイヤー気分で電気ストーブに話しかけたこともありました。

 

時間に余裕がないとき

テスト当日の朝なんかだと、1秒を惜しむ追い込み学習になっていて、後何分でここまで進めないと指定範囲の学習が終わらないぞ、と自分に喝を入れることもありました。また、ここからここまでで大事なところはどこかと山をはって、そこだけの勉強に切り替えることもありました。ただ、山が当たる確率はあまり高くなかったです。 

 

午前4時

真冬の誰も通らない道路で

既に郵便受けには新聞が差し込まれていたものの、まだ夜明けの気配がない時間帯。

家の前を人や車が通ることは、まずありません。時に気分転換で外の通りに出ます。家の近くの外灯から少し離れた場所へ。そして道路の真ん中で大の字になって夜空を見上げるのでした。地球を背中に背負ったり、地球に背中を押されたり、イメージ一つで感じが変わります。夜空に落ち込みそうだったり、放り投げられそうだったり。流れ星を見たこともありました。

 

ただ舗装された道はとても冷たく、防寒着越しに冷えてくるのがわかります。背中が冷たくなり、その内、ぶるっと身体が震えます。さらに寒さに我慢ができなくなった頃にようやく起き上がり、冷え切った体を今度は全力で震わせます。ぶるぶる、くにゃくにゃ、ぶるくにゃ、ぶるくにゃ…。

 

傍で見る人がいたら、挙動不審過ぎる少年に見えたはずです。それ故に、誰も通らない時間帯に限っての行動です。20秒も経たない内に息が切れてきて終了。身体がほかほかしてきます。気分一新できました。

 

定番ラジオ後半

定番のラジオ番組が後半に入ります。普段ならこのタイミングで目覚めます。

夏なら日の出の話もありますが、冬はまだ暗く、5:00近くになって東の地域の空がほんのり赤みを帯びてくる頃。そんな話の中で深緋(こひき)色という名を知ったように思います。

また、到着時刻が迫るトラックも多かったようで、3時台とは違う慌ただしさが番組内に出てきます。時刻に間に合うか心配する話や、街に少しずつ明かりが灯り始める話、人が動き始めているのを伝えてくれました。

おぼろげな記憶ながら、豆腐屋さんの朝の様子や、市場の話なんかも聞いた気がします。それは5時以降の別のラジオだったかも知れません。

 

※ちなみに『歌うヘッドライト』は2001年9月に放送終了しています。走れ!歌謡曲』は50周年超えた長寿番組で、今も放送中ですが今年3月27日に終了予定だそうです。何だか寂しくもありますが時代の流れということでしょうか。

 

午前5時

新しい1日が始まる

イメージ的に、5時から朝が始まるという感じでした。ラジオ番組もどこか落ち着いて聞けなくなってきます。「おはようございます。」「朝の目覚めはどうですか?」「今日も一日頑張りましょう」そんな言葉が増えてくるのです。

BGMをカセットテープに切り替えることもありましたが、AMラジオの番組を気分で変えて流す日もありました。FMラジオはまだ放送時間外。

雑多な記憶

この時間帯(5時~7時)の雑多な記憶が残っています。

農村の放送で、「60歳以上の老人医療費無料化がどこかの村で導入された話」、「地面より上にトマト、地面の下ではジャガイモが育つポマトの話」、「種そのままを食べるゴマは命に必要な栄養が揃っているので、毎日欠かさず食べると健康でいられる」等々。

浪曲の放送で、「走る走る」「走りに走った」など、あまりに大袈裟に連呼していたので、つい噴き出して笑ってしまったこと。曲の一節が長く、気になり手を止めて聞き入って感心したこと。

土日に限っての放送だったと思いますが、宗教の放送がありました。長い読経が流れ、このお経を何人の人がわかって聞いているんだろうと疑問を持ったこと。ありがたいお話をちっともありがたく思えず、違和感を持ったこと。(信じることと騙されることが表裏一体に思えたのを憶えています。)

そんなとりとめもない記憶の断片が残っています。

カセットテープのオートリバース機能

もっとも、テスト当日朝等、学習に集中したいときは、ラジオではなく聴き慣れたカセットテープを流してました。オートリバース機能付きなので、放置して、同じテープを何回もです。テープの多くは90分でした。

そのおかげ?か、一時期すっかり憶えてしまったテープもたくさん。劇場アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』、『さらば宇宙戦艦ヤマト』、『あしたのジョー2』の音声はほぼ完全に記憶。勉強の途中で不意にセリフついて言ってしまうことも。

またクラシック音楽や映画音楽も憶えました。

今はほとんど忘れてしまいましたが、当時の記憶力には驚かされます。悔やまれるのは落語や漫才を録音してなかったこと。強く興味を持つのはもう少し後でしたが、もし話を憶えていたら、もう少し話し上手になれたかもと思うのです。

 

午前6時

父が起床し準備を始める時間帯です。

NHK-FMラジオの放送開始時刻でもあります。

また、一時期は『機動戦士ガンダム』のテレビ再放送もありました。

NHK-FM

『朝のバロック音楽』?だったかの放送を聴いていました。バロックって何?って感じだったのですが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『トッカータとフーガ ニ短調』やヴィヴァルディの『四季』等、その魅力に少しずつ気づいていきました。

『四季』の曲が長く一回の放送におさまらないということで何回かに分けたのに合わせて録音した記憶もあります。NHK-FMのおかげで、バロック音楽クラシック音楽に興味を持つようになったともいえそうです。

 

AM-ABC放送『おはようパーソナリティ道上洋三です』

バロック音楽の後、AM放送に切り替え『おはようパーソナリティ道上洋三です』を聴くことが多かったです。前番組『おはようパーソナリティ中村悦一です』は私が小学校時代、登校が遅くなった時に父の車で途中まで送ってもらい、カーラジオで聴いていたことがあったのです。阪神タイガースの話が多く、「ミスタータイガースはこれまで田淵だったが、これからは掛布や」なんて話や「もう掛布タイガースでええんちゃう?」なんて話もあったように思います。

そんな縁もあったのでパーソナリティー道上洋三に変わっても聞いていたのですが、登校準備のため通常は少ししか聞けません。ただ入試近くになると、自宅学習もOKだったので9:00くらいまで聞いていたこともあります。

 これまた雑多な記憶で、『レタスの味噌汁』だったか、子どもの詩が発表されたことがあります。(一部の記憶から全体を想像して補っています)

TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTT

 今日はキャベツが無いからレタスの味噌汁にすると母ちゃんが言った。

「 レタス?ドロドロになりそうやん。」

「嫌やったら食べんでもえいで。」

いやだと思ったから、食べへん言おうかと悩んでたら

それより早く、

「もう入れてもうたし、食べや。」

と母ちゃんが言った。

出されたものを食べなかったら、母ちゃんはものすごく怒る。

僕は仕方なしに食べた。

お箸でとったペランペランのレタス

半分透明で向こうが見えそうやった。

美味いんかなあと思いながら食べた。

美味しかった。

ドロドロじゃなかった。

レタスでも美味しかった。

母ちゃん、もしかして(   )ちゃうか。

レタスの味噌汁、また作ってもええで。

冷蔵庫の中見たらキャベツあったけどな。

LLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLL

そんな感じ。(   )の言葉があやふやで、名コックだったか魔法使いだったかほかのだったか不明。妙に心に残っています。

 

もしかしたら、予備校時代に聞いたのかも知れません。おそらく詩のお母さんはキャベツとレタスの加熱時間を変えたのでしょう。子どもの好き嫌いをなくそうと苦労する親の姿は私の母と同じ。当時は気づいていなかったのですが、後で納得しました。 

午前7時

7時台は学校に行く準備です。食事や荷物準備などで、もうてんやわんや。

高校になってからは朝食はごはんが主流でした。共働きの母の負担にならないよう、家でとれる卵も使ってTKG(たまごかけご飯)やふりかけ、たくあん等ですますこともありました。もちろん、簡単なおかずを作ってくれることも多かったです。

ただ、朝食に納豆は大学受験(1984年2月)以降です。 

 

あとがき

朝型学習は街も家の中も静かです。それゆえに、勉強に集中できる一方、突拍子のないことをしてしまうこともあります。また、正直な話、目覚ましで起きれず、父の支度の準備の音で起きたことも何回かありました。さらにカセットテープやラジオに気を取られる等、学習として効果がどれだけあったかは疑問です。最終的には自分に合う勉強方法を見つけるのに限ると思います。

 

ただ、朝型学習というより、朝のラジオ?で得たものも多かったです。知らない人が知らないところで、仕事に頑張っていて、それを励ましていたラジオ。若者(ヤング)向けではない番組で大人たちの繋がりが垣間見えた番組。こうした話を同世代とできない物足りなさはあるものの、少し上の世代のことを知れたのはいい経験でした。これも一つ大人になれた要因かも知れません。

  

また、父がきっちり同じ時間に起き、石油ストーブの準備をして、少し新聞を読み、食事を済ませ、出かける前に車の暖機、窓が凍っていれば湯をかける、出社前不意に私の部屋をのぞく、そんなルーティーンをきっちりこなしていた姿も印象に残っています。

「できること」を「する」そして「やり続ける」。一時期、父が毎日同じことをするだけのつまらない人に思えたこともありましたが、いつからかそれは尊敬に値することだと思うようになりました。働くようになってから、簡単そうで難しいとわかってきました。

ちょっとした気分で面倒くさくなり手を抜いてしまう私は、未だ大人になれていないと思う一因にもなっているのです。

 

なんだかつらつらと長い話になりました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

今週のお題「大人になったなと感じたこと」