2021年1月大学入学共通テスト
2021年の大学入学共通テストが16・17日に実施されました。一番心配したのが、会場でのコロナクラスターの発生でしたが、今のところそのニュースを聞きません。感染対策は、受験生だけでなく、その家族や学校、塾、そして会場の人々までずいぶんと神経を使ったと思います。
今年も試験問題を少しやってみました。
地理A ~ 未来の資料 ~
地理Aの第1問の問1で「…ある地域の1985年と2015年に発行された2万5千分の1の地形図である。」とあって、お約束のショックを受けました。一浪して1985年も共通一次を受けたのですが、その感覚はいまだ健在で問題を見て(うわ!未来の地図?!)と思ってしまったのです。まあ正解だったのでよしとしましたが、それにしても現役生だった頃の地図が、昔の地図として使われていることに時代を感じずにはいられません。
2021年からすると1985年は36年前です。
受験生だった1985年の36年前となると、戦後の混乱がまだ残る1949年。日本は第一次産業が主流で、農業就業人口は推計で1500万人を超えていました。1985年には600万人程、2019年では200万人程まで減少しています。
これほど世に変化があるのに、私の脳内データは高校時代のデータをあまり更新できていません。この呑気さは、受験と無縁な生活になっているからでしょう。
数学Ⅰ第1問[1](1) ~ -(マイナス)の呪縛 ~
数学も毎年数問チャレンジしています。 でも、今回ほど真剣になって挑戦したのは何十年ぶりかでした。
まず、第1問(1)。
c=1を代入すると、2x^2+x-10=0なので
(2x+□)(xー■)となるのはわかります。 ※問題のイが□、ウが■
さらに、xの係数に注目すると、-2■+□=1、⇒ □=2■+1
整数部分の □*■=-10 に代入して
(2■+1)*■=-10 です。
10は、(5*2)なので、■=2? あら? 10=-10?
??? あれぇ?これは、矛盾するので間違いです。
う~~~~~~~~む。あ!
整数部分の □*■=-10 に代入するという部分が間違っていて
整数部分の □*-■=-10 に代入すべきでした。
(2■+1)*ー■=ー10 ⇒ (2■+1)*■=10
なので、■=2、□=5で、(2x+5)(xー2)ですね。
やっと答えを出せました。最初から解の公式で計算すればよかったです。
さらっと因数分解してやろうとこだわった結果の回り道…。
ちょっと苦笑してしまいました。
このブログにも書いた私の弱点、ー(マイナス)の符号のつく計算が苦手なのは36年以上経っても健在だったのです。
数学Ⅰ第1問[1](3) ~ PISA的読解力の問題? ~
(2)の問題は割愛して(3)です。
数学にこうした会話文が問題に取り入れられるのは、OECD(経済協力開発機構)のPISA(生徒の学習到達度調査)で、日本は読解力が低いという結果が出たからでしょうか。
ただ、この会話文は問題を解くヒントであって、会話文が無くても問題は成立していると思います。
(※ と偉そうに言いつつ、解の公式の根号内、
(4c-3)^2-4*2*(2c^2-c-11)
に挑戦する気がなかなか起きず、下書き更新が止まってました。でも、改めて見てみると面倒くさそうな16c^2が消えることに気づき、重い腰を上げた次第。問題に集中でき太郎高校時代なら、もっと早くに気づいたかもしれません。
それでも式を展開した際、
16c^2-24c+9-16c^2+8c+88 になるところ、
16c^2-24c+9-16c^2-8c-88 として悩んでしまったのはお約束。
-(マイナス)の呪縛は相当重症のようです。)
整理した式が0より大きくなる場合を考えます。(なお、Cは正の整数)
-16c+97>0 ⇒ 16c < 97 になるのは、
c=1,2,3,4,5,6 の6個ですね。
数学Ⅰ第1問[2](1) ~ うっかりも健在 ~
次は第1問[2]の(1)です。
これは、すぐわかりました。自信を持って③。で、答えを見たら2。
何で?と見直すと、問題は⓪~③から選べとのこと。
う~わっ!4つ並んでたから、てっきり①~④だと思い込んでました。
このうっかり具合も、高校時代からそのままです。
共通テストを少しやってみての感想
まだ、多少の問題なら解けるだろうと挑戦したものの、気が抜けた状態で簡単に解けるものではなかったです。ほんの数問しかチャレンジしていませんが、大学受験は慎重のうえにも慎重を貫いて正解が得られるんだと改めて痛感しました。
誰だったか先生が「大学受験生の18歳が人生で一番学習を吸収できる。」なんて言っていました。「だから今までが上手くいかなかったとしても、18歳の学習で逆転できることがある。」なんて、当時は体のいいおべんちゃらだと思っていました。今でも励ますための方便だったとは思いますが、騙されたつもりで頑張って間違っていなかったと思います。
高校の放送部からアンケートで、
「勉強することにどんな意味があると思いますか?」
といった問いに
「勉強は定規のような物、何を手にするかより、どう使うかが大事。」
と答えましたが、今でもそう思います。
高校の勉強を今年の共通テストに役立てられてよかったとも思います。
時を経て授業を受けた気分
ただ、あの頃もその後も思いもしなかった、「受験生として頑張っていた自分」をもう少しリスペクトしてもいいかなと思いました。今となっては、共通テストでとても満足な点数は取れそうにありません。薄っぺらな知識や解き方ばかり追いかけていた気がしていましたが、一浪したとはいえ、こうした問題を解いて進学できたなんて、それはそれで大きな意味があったんじゃないか?と思うのです。
「大学受験生の18歳が人生で一番学習を吸収できる。」の言葉の真意は、「18歳」にあるのではなく、「大学受験生」という環境、つまり家庭や学校の場で、協力してくれる親や先生、友人がいてくれることを意味していたのだと、今気づきました。
何だかそんな授業を長い時を経て受けた気がします。
誰だったかは不明ですが、この言葉を教えてくれた先生に感謝です。
今週のお題「感謝したいこと」