「成人の日」は、今なお不思議な日で突っ込みどころ満載に思えて仕方ありません。
祝日法では「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」となっていますが、
- 「おとな」とはどういう存在か。
- 「みずから生き抜こうとする青年」なら夢も希望もない青年は別か。
- 「祝いはげます」のは誰か。また具体的にどんな行為か。
一般的に二十歳になれば大人とされますが、実際のところ私自身、今なお「大人になりたくない」という思いがあります。さすがに55歳でそれは通じぬ話でしょうが、「私は立派な大人だ」と胸張って言えるほどではないと思っています。
成人、大人とは何か
高校時代、生きてさえいれば、二十歳になれるのはわかり切ったことでしたが、自分が成人になれるかどうかには自信がありませんでした。
とは、去年の記事。
選挙権を例にとった屁理屈の多い記事ですが、
「成人とは、心身が十分に成長した人」とされます。
では、逆説的に、もうこれ以上成長できなくなった人は存在するのでしょうか。
という疑問は今も続いています。ただ最近、新たな疑問も湧いています。
「老い」を受け入れるのも大人?
「老い」の捉え方もいろいろでしょうが、「歳だなあ。」と思うことが増えている私。
高速道路で車を走らせていて、前の車に追いつくより、追いつかれ抜かれる方が多くなりました。カーブの多い急な坂道でスピードを出せず、ゆずり路線を嬉しく思うことも増えました。
パソコン画面を見ていて、細かい文字や絵を見ようとすると眼鏡をはずすようになりました。さっき画面を見て確認したはずが全然頭に残っていなくて、閉じた画面をもう一度呼び出すことも増えています。
これらを、歳だからそういうものなのだ、もうそろそろあきらめようと思うのが大人でしょうか。それとも、否、まだ自分なりの方法があるはずだと、ゆっくり運転でも高速道路を走り、パソコンの画面表示を120%、150%にしてでもきちんと見ようとするのが大人でしょうか。
似た疑問は他にもいっぱいあります。
年相応を受け入れるのが大人?
アンチエイジングを怠らないのが大人?
まだまだ若いと思い込むのは大人じゃない?
若者の世話にならないのが大人?
若者に何かを教えるのが大人?
若者に助けを求めるのは大人じゃない?
自分が大人になれたかどうかも不明なのに、早くも次の課題が迫ってきています。
老えば大人ではなくなるのでしょうか。
「諦めたら、何でもできる」
年末に偶然、NHK地域局発 フカイロ!「諦めたら、何でもできる~APU学長・出口治明~」を観ました。
立命館アジア太平洋大学の出口治明学長(72歳)(ライフネット生命を立ち上げたカリスマ経営者でもある)への密着取材でした。
「コロナ禍で大事なことは自分にどうにもできないことは諦め、目の前のことに全力を尽くすこと」として、コロナ禍で例年通りの留学生への応対を切り替え、今、留学生にできる学費納入法を考えます。また人が密集しない方法で学園祭を行います。
番組を観ながら「諦めたら、何でもできる」と言っても、生きることややりたいことすべてを諦めるということではないと感じました。私なりの解釈では「不要なこだわりや無理は諦め、本質を生かす」という感じ。
「最後まで諦めない」と「諦めたら、何でもできる」は表裏一体とも言えそうです。ですから「諦めないのが大人」か「諦めるのが大人」か論争は不毛でしょう。大事なのは、不要なこだわりや無理は諦め、本質を諦めない、その見極めができるということに思えます。
見極めは難しく、常に状況は変わっている
その見極めが簡単にできるなら、苦労しません。一方、無理だと思えることに挑戦し切り拓いてきたからこそ、今の人類があります。時代によって、技術によって、人によって、その見極め方は違うはず。
コロナ禍だから通例の成人式を諦めて、リモート成人式に切り替えるのも見極めでしょう。同じ日に万全の対策をして、無観客で高校サッカー大会決勝を開催するのも正解に思えます。ネット環境がある時代、高校サッカーに夢がある時代だからこそできたことでしょう。正解が常に一つというものではなく、知恵と工夫を凝らした幾つもの答えがあっていい場合もあります。
大人だって絶対的な見極めは難しいです。それでも、自分のできることを見極め、為すべきことを為すのが大人なのかもしれません。
お祝いと励ましの言葉
こんな風に自分が一人前の大人なのかどうかもよくわからない、みずから生き抜こうとできているかどうかもあいまいな私に、成人を祝い励ますなんて甚だおこがましい気もすます。以下、励ましの言葉というより励まし合う言葉を考えてみました。
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ご成人、おめでとうございます。
今の法律では20年生きれば誰でも心身が十分に成長した成人とされます。でも、心身の成長に終わりがあるわけではありません。たとえ身体がそれ以上成長できなくなっても、衰えてきたとしても、それに応じて成長を目指すことが求められることでしょう。
コロナ禍続く厳しい年に成人した世代として、自分と時代を見極めながら、為すべきことを為す人になれますよう、願っています。
また35年前に成人の日を迎え、今コロナ禍に悩む初老の一人として、そんな成人に励まされたいなと思います。今後もよろしくお願いします。
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いかがでしょう?成人の日に変な話ですかね。
でも、この変な話が少しでも伝わったなら、私もまた少し大人になったと感じていい気がするのです。
今週のお題「大人になったなと感じるとき」