tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

私の2020年に賞を贈るなら「#わたしAWARDs 2020」

今年の十大ニュース

「重大」とひっかけただろうそのニュースが気になる年末になった。

それにしても、十大ニュースを発表した後、年内でそれまで以上のビッグニュースがあったらどうなるんだろう?っていつも思う。来年の「今年の十大ニュース」に入るのだろうか?

 

年明けてから「去年の十大ニュース」ではダメな理由を考えてみた。

  • 新年早々に去年の暗いニュースを振り返るのも変。
  • 新年には、今年の抱負等で夢を見ることこそがふさわしい。

そんなところだろうか。

 

 

忘年会

そう言えば、年が終わる前のどんちゃん騒ぎが忘年会だ。その騒ぎで一年の嫌なことを忘れようということらしい。また一年の働きを労う意味も込められている。

でも、忘年会が無礼講だと言われ、調子に乗り過ぎで嫌な思いをすることもあれば、労うはずが課題ばかり突き付けてしまうことだってある。また忘年会の後で嫌な出来事に巻き込まれることもあるだろう。それは忘れてもいいのだろうか?

一方で「忘年会」と言いつつ、実はその一年を思い出す会になってるんじゃないか?って感じることも多い。忘れるために思い出すって矛盾していやしないか。

 

以前、職場仲間で「忘年会」ではなく「望年会」と銘打った会を開催していたことがある。望年会なら、1年を振り返って教訓を確かめ新年の希望を語るのだから、こっちの名前がいいんじゃないかと考えたのだ。

なのに、いつの間にか「ぼうねんかい」と聞けば再び「忘年会」という字が浮かんでしまうようになった。「望年会」を忘れて「忘年会」を憶えているって二重の意味で矛盾してる気もする。

 

何とか大賞等

年末は、何とか大賞等が毎年話題になる。

2020年の今年の一字は「密」。

SNS流行語大賞2020の第1位は「StayHome/おうち時間」。

新語・流行語大賞』は「3密」(密閉、密集、密接)となった。

コロナ対応が後手後手になっているものの、「密の回避」「自宅で過ごす」という意識は広く浸透したように思う。一方で、「総合的、俯瞰的に判断して」密室で厳密に密封された事実もずいぶん増えているようで怖い。何とか大賞で話題を集める裏側で、忘れてはいけないことを揉み消されてる気もしてしまう。

 

記憶に残っていることと、忘れ去ってしまったこと

十大ニュースも、忘年会も、何とか大賞も、言い換えればその年のレッテル張り。その一年をどんな年だったか「総合的、俯瞰的に」振り返るには便利だし、皆と共通の認識で時代をとらえられてる安心も得られる。何々があった年と言われればそれに付随して自分史を振り返ることだってできる。

 

一方で思う。

皆の記憶に残っていることと、皆が忘れ去ってしまったこと、

本当に大切にすべきはどっちなんだろうーー。

 

年々のレッテル張りには、その人しか、自分しか知らない大切なことを無かったことにしてしまう強引さが潜んでいないだろうか。そんなことも考えてしまうのだ。

 

それらの答えが簡単に出るものではないし、答えが一つだとも思わない。

ただ、下で述べる「#わたしAWARDs 2020」では、そんなことも念頭に置いて欲しいと思う。

 

 「#わたしAWARDs 2020」

それでは、賞の発表です。

   

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わたし AWARDs 2020

 

2020年も、あとほんの少しで賞

 

 

2020年も悪くはなかった。

コロナとか、コロナとか、コロナとかがあった年だけれど、少なくとも今私が生きてる事実が2020年も最悪を回避できた証拠。

とは言え、すっかり満足できる年でもなく、満足できない年の連続記録は続いている。

何より、2020年も今日を含めて残り3日。文字通り2020年もあとほんの少し。

ってことで、大健闘した一年の証として「2020年も、あとほんの少しで賞」。

 

え?

それなら別に2020年じゃなくてもいいだろうって?

いいえ、2020年の受賞でなければ2021年が迎えられないでしょ?

 

前置きがやたら長いわりにこれはどうかって?

いえ、どんな賞をとったかより、どうやってその賞を取るに至ったかの方が大事なことって珍しくないはず。

 

 そんな思いからの受賞?授与?である。

 

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<余談 他の賞候補>

ちなみに他に検討した賞も一部紹介しておきます。

 

2020年も頑張ったで賞

大学受験の年から初詣のお願いは決まってました。失敗しても、神様のせいにしたくないという思いから「今年も精一杯頑張れますように」です。望む結果になってもならなくても、やりたいことは精一杯やってみよう、そしてその結果はきちんと受け止めよう、そんな思いからの賞でしたが、どこまで頑張れたかも触れておきたくて除外しました。

 

2020年も生き抜いたで賞

今、生きてることを受け止めたい気持ちからです。去年12月に母を亡くした父の気落ちぶりを心配し、今年9月にはツレ父を亡くしました。元気に生きているって大事です。

コロナ感染の第一波、第二波では母の初盆や一周忌の参加は見送りました。一方で、父の状態によっては、感染の不安を持ちながらも帰省していました。

現在第3波の最中ですが、一人住まいの父の家に週2回来てくれるヘルパーさんは年末年始でお休みです。体調を崩したら起き上がるのも大変になる父なので心配は増すばかり。意を決して帰省している次第。

今年も生き抜けそうですから賞をあげてもいいのではと考えましたが、それに満足してしまうのもどうかと思い、除外しました。

 

手にした賞より、除外した賞の説明が長いっていうのも私らしいで賞?

 

 

この記事は以下の企画に参加しています。

s-f.hatenablog.com

 

お題「#わたしAWARDs 2020」