母の初盆には、帰省できずにいました。でも、コロナ拡大がある程度緩やかになったこと、ツレ父の介護から離れたこともあって、秋の彼岸に合わせて実家に帰ってきています。
父はNHKの朝ドラ『エール』を欠かさず観ている(時折、眠ってしまうようで、録画もしています)ので、それに付き合う感じで、私も観ています。
戦時下の部分から観始める
ほとんど前知識無く観始めたのが、日中戦争突入のタイミングからでした。好戦反戦の立場のみならず、戦争に飛び込む人、巻き込まれる人、様々な人の思いが描かれていて、単純な善悪にしてしまわない辺り、さすがNHKだなと思いました。
現在、ドラマの中では軍歌に焦点が当たっています。
軍歌は戦意高揚、戦争礼賛のための歌というイメージを、私はどうしても拭えません。しかし、世が戦争一色の中、精一杯に自分らしい作曲を貫こうとした結果の軍歌が広く支持されたのには、複雑な心情や事情があるだろうなと納得できます。
軍歌のみならず、戦意高揚の映画や詩、短歌等の作品群の裏で、その製作に積極的に関わった、或いは抗い切れず関わらざるを得なかった人の話は聞いたことがあります。後に、あれはあれで良かったと肯定する人、仕方なかったと割り切る人、深く後悔した人、罪を背負わされた人、じっと沈黙を守った人とそれぞれいるようです。
ドラマは実在の古関裕而氏をモデルにしているとのこと。調べてみると、馴染みのある歌もたくさんありました。
※ 巨人や中日の球団歌も作曲
・「モスラの歌」
等々。こうした馴染みの歌と軍歌が同じ作曲者とは知りませんでした。
ただ、この史実から、戦後も第一線の作曲家として活躍されていたことは想像ができます。だとしたら、その活躍の背景や根っこに何があったのか、興味深いです。
予科練と拙ブログ
『春なのに』(柏原芳恵)と「若鷲の歌」
朝ドラ「エール」では、今、「若鷲の歌(予科練の歌)」がとりあげられています。この歌は、拙ブログでも少し触れたことがあります。
記事には、予科練(日本帝国海軍航空隊の隊員養成所)が当初は憧れの的であったことや、戦況悪化の下でのことも書きました。
漫画『特攻の島』(佐藤秀峰)と予科練
別記事では、予科練での訓練を描いた漫画『特攻の島』(佐藤秀峰)にも触れました。憧れの海軍の航空隊養成所に入隊しながら、特攻人間魚雷、回天の壮絶な訓練を受けるしかなかった若き予科練生の苦悩と覚悟を描いた漫画です。
望む、望まずにかかわらず、与えられた条件で精一杯自分らしく生きる尊さと難しさ、という点は、誰もに共通していることに思えました。
予科練生
ドラマでは「若鷹の歌」の納得のいく完成のために主人公、古山裕一が予科練を訪れます。予科練生の生活ぶりにどこかアットホームな感じがあって意外でしたが、それ以上にあどけなさが残る若者、むしろ少年のような純粋さに驚きました。
戦後間もない頃、『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』という学徒兵の遺稿集が編集され、本として出版されています。そこには、悲壮感だけでなく、エリート意識が強いがゆえの使命感も感じられました。私には予科練にもそんなイメージがあったのです。
改めて調べてみると、予科練生は満16歳以上20歳未満でした。学徒兵よりあどけなさが残って当然だと納得しました。知っているつもりでも、知らないままのことって多いですね。また一つ、知らなかった世界の扉が開けた感じです。
加えて、憧れの的と思っていた予科練には戦前、「低待遇に失望した練習生たちは、飛行隊では決して口にできない不満を、故郷に帰って発散し、「予科練には来るな」そんなことを地元の出身中学で堂々と言ってはばからぬ練習生が後を絶たず、不満はさらに膨れ上がり、ついには第三期生がストライキを起こすという、前代未聞の事態に発展してしまった」( wikipedia 「海軍飛行予科練習生」より)等の経緯もあったとか。
戦時中にあっては、予科練入隊者は大幅に増員される一方で、短期養成が進められ、軍の戦闘機の数は減り、課程を修了しても航空機に乗れないばかりか、他の特攻兵器や基地建設、防空壕建設に回されたりします。そして終戦を迎える前に予科練は解体されました。
ドラマの行方
気になるのは、ドラマの今後です。
「若鷲の歌」の大ヒットは、予科練のイメージアップにつながり、希望者を増やしますが、その末期は悲惨でした。主人公がそれをどう受け止めるのかーー。
実は、ドラマで「若鷲の歌」完成の後を見たくて、記事の公開を遅らせました。今日の話では、歌の成功と、世の反応と、主人公の苦悩、それらが混ざりつつも、戦況悪化、更なる戦意高揚の必要性は止まらず…という流れでした。
ドラマの行方がとても気になります。
とりわけ、軍歌の作曲で何をどう表現するかと悩んだ主人公の揺らぎが、そのままコロナ禍のドラマ放送で何をどう表現するかという姿勢と重なるとは考え過ぎでしょうか。
『エール』と今の私
それにしても、『春なのに』の歌詞から、ボタン、予科練と続いた関心が、ツレ父の介護の後に帰省したタイミングでドラマ『エール』につながったことが、単なる偶然に思えません。コロナ禍で放送のタイミングがずれたことも、ものが言いづらくなっている世の動きも、無縁ではない気がします。
先日の記事に書いた
きっと自分らしさはこれだと固定することは不可能です。誰にとっても、そこに近づこうとするだけで精一杯のはずですが、それが自分らしさを磨く、維持することのようにも思います。もしかしたら、それを最期まで続けられることも、幸せの一つの形なのではーー。
ドラマ『エール』は、そんな思いを後押ししてくれているような気がするのです。