高校時代、クラブを辞めたあとは通常、私の方が母の帰宅より早かった。運動量が落ちたとはいえ、育ち盛りでお腹が減っていることも多く、そんな私に母はよくおやつを食卓に置いてくれていた。
定番は菓子パン。デニッシュ系やクロワッサン系でジャムや焼きフルーツ等など甘味のを合わせてあるのが好みだった。
その日のパンは、シュガークロワッサン。パンの上で砂糖シロップが白い波線を描く、お気に入りの一品。
ただ、今日のは黒ゴマが散りばめられている。新製品かな?
黒ゴマがトッピングされたアンパンなら食べたことがある。食べ進めてゴマに行き当たるとプチプチした食感と風味が鼻を抜けるのを楽しめる。ただ、アンパンにゴマが必須と言う程でもなく、値段が高くなるなら手を出さずにゴマ無しを買うだろう。
私にとって、パンの黒ゴマはその程度のポジションだ。食べる前からそんな予想だった。
<※ 以下、閲覧注意。
食事中の方、グロテスクな表現が苦手な方は、ご遠慮ください。>
続きを読む覚悟ができたら、ここをクリック
袋を開け、黒ゴマクロワッサンをかぷり。最初は歯がゴマを潰さなかったが、何回か噛むうちにブチッ。んん?なんか硬いぞと思った瞬間、舌を針にチクっと刺されたような痛みが走る。ん?!何だ?これまでの経験を覆すゴマの硬さと痛み。砕けたゴマの殻が舌を刺激しているのだろうか。さらに、二回、三回と噛み締めると、それは強烈な酸味となって広がっていく。いや、酸味というより痛みに近い。噛みしめた殻はジャリッと音を立てたような感覚で顎から脳に伝わる。
そのまま飲み込もうかとも思ったが、喉が拒否して動かない。そこでようやく、飲み込んではいけない、吐き出して確かめてみた方が良いと考えて、ティッシュを手に敷き、出してみた。
なんと。ティッシュの上では、噛んだパンの表面を黒ゴマがちょこまか忙しく動き回っていた。まるでゴマに足が生えているようだ。
それを見て、本当の吐き気がきた。瞬間、ぐっと耐えながら、ゴマと思い込んでいたのが、蟻(アリ)だったと確信する。頭が納得すれば意外と耐えることができるのだなと妙な感心をしながら、落ち着いて洗面所へ向かう。
水を口に含んで、グジュグジュうがいを何度も繰り返す。パンは先程のティッシュに簡単に出せたが、蟻はそうはいかない。蟻には蟻の矜持がある。命の危険を感じれば、安全な場所へ逃げようとする。おかげで、数回グジュグジュペッを繰り返しても、歯茎や舌の表面を這う蟻の姿が、鏡に映し出される。
それをちらっと見るだけなら、映画のように他人事に見えたろうが、鏡の蟻の動きが歯茎や舌に感じられるのだから、放っておくわけにもかない。指で歯茎をなぞったり歯ブラシでこすったりして鏡で確かめるというのを繰り返し、ようやく見当たらなくなった。
刺されたような痛みは消えても、ヒリヒリ感が舌に残っている。それなのに、食卓に残った蟻つきクロワッサンを見て、どうやったら食べられるかと考える自分が可笑しかった。好き嫌いが当たり前だった頃と違って、いつのまにか食べ物を残すことに強い抵抗を感じるようになっていたことに気づく。さすがにこれを食べるのはやめておこう。
注意深くシュガークロワッサンの袋を見てみる。蟻がかじり破ったのか、何かが刺さって空いていたのか、どちらもありえそうな小さな穴が空いていた。
蟻の行列は残ったパンから、食卓の上、脚、床、流し台の縁、窓へとつながっている。一体、どのくらいの時間をかけてこの上下に険しい通り道を作ったのだろう。
母が出勤前にパンを置いたとすれば8時間程だ。巣から出た蟻が、当てもなくエサを探し歩いてい売る内に家に迷い込み、歩き回るうちにわざわざ食卓をよじ登り…という順は考えづらいように思われた。或いは、食卓付近に隠れていた蟻が、エサの登場で仲間を呼び、袋に穴を開け、中を確かめ、仲間に伝えたのだろうか。しかし、その当時、食卓の上で蟻が歩くのを見た記憶がない。もしかすると忍者のように訓練され隠れるのに長けた蟻がいるのかも知れない。
蟻の情報収集と伝達能力は、人間が考えている以上に優れている気がした。
小学生の頃、噛まれた腹いせに蟻の巣を壊して遊んだことがある。5年もの間、虎視眈々と仕返しの機会を狙っていたのかもしれない。と考えてぞっとしたのも憶えている。
その後、しばらくの間、黒ゴマの集団を見ると、それが動いているように見えて食欲がなくなることが続いたものの、やがて平気になった。
クロワッサンもしばらく苦手だったが、いつしか好きなパンに返り咲いた。
パンの入った袋を念入りに確かめることもいつの間にかしなくなった。
蟻を噛んだ時の強烈な酸味と痛みの正体は、毒性も併せ持つ蟻酸のせいらしいと後に知った。蟻数匹分の蟻酸でどこまでの影響が出るのかは不明だが、視神経損傷の可能性もあるらしい。一方で、防腐剤や、防虫剤の成分として利用されているとも聞く。
あの時、飲み込まずに正解だったと思うが、この記憶が消えないのは、蟻酸の強烈な酸味と痛みのおかげだとも思う。
昔からあるイナゴの佃煮や蜂の子飯の他、食べたことは無いが。今、昆虫食が静かなブームだそうだ。最近はコオロギの素揚げや炒めもの、パウダー等がレシピとしてネットに登場している。何でも、地球の食糧難の救世主としても注目されていて、人間の安全のために養殖している業者もある。それによって、飼料を調整して味のデザインもできるそうだ。
最近、無印良品から「コオロギせんべい」が出ている。話題作りやお試し販売といった域を越え、大真面目に現在の食事情を考え、安定安全な生産、消費の浸透を狙っているようである。
project.nikkeibp.co.jp
project.nikkeibp.co.jp
正直、今はまだ昆虫食に抵抗を感じる人の方が圧倒的に多いだろう。しかし、レトルト食品が宇宙食に採用されて以降一般に受け入れられたように、またカップヌードルがあさま山荘事件で警察官の非常用食料として食べられて以降売り上げを伸ばしたように、地道な生産が何かのきっかけで急に売り上げを伸ばすことは、十分ありうる話だと思う。
世間一般の受け入れ方が変われば、商品の売り上げはがらりと変わる。じわりじわり広がる昆虫食が、いつそうなるかまだ分からないが、可能性は十分にあるだろう。もしかすると、いつか黒ゴマより蟻ゴマが人気になるかも知れない。
黒ゴマならぬ、蟻ゴマシュガークロワッサンだってその内、美味しい、好きなおやつだと言われれる日がくるかも…。ただ、もしそんな時が来ても、生きている蟻をつかまえて食べるのはやめておこうと思っている。
上の「ここをクリック」テクニックは、LSSさんのブログを参照しています。
little-strange.hatenablog.com
LSSさん、ありがとうございました。
しかも、投稿した後、いち早くミスを教えていただき何とか表示できるようになりました。重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。
今週のお題「好きなおやつ」