『チャコの海岸物語』はリリース日が 1982年1月21日と冬ですが、舞台は夏の湘南ですから、夏歌だと思います。実は、なかなか好きになれなかったと言うより、しばらくの間嫌いになれず気になり続けたという感じの歌でした。
印象的な出だしと軽さ
イントロがカモメ?ウミネコ?の声と波の音から始まり、演奏が入って最初の歌詞
「抱きしめたい~」と一声を放った後、
(この歌は)「海岸で若い二人が恋をする物語」だと言うのです。
そして「目を閉じて胸を開いて ハダカで踊るジルバ」と刺激的な言葉が続きます。
この展開の早さにまず驚きました。「抱きしめたい」と自覚すると、さっそく恋を宣言し、もうハダカで踊っているのです。その反面、「心から好きだよチャコ 抱きしめたい」と伝えても、つれない対応をされて終わります。
何と軽い恋でしょうか。
斬新なイントロで強烈なインパクトを与え、茅ヶ崎のシンボル、エボシ岩を歌詞に加えるなど描写も良いのに、この軽さ。どうとらえたらいいかよくわかりませんでしたが、謎に満ちた魅力のある歌でした。
3つの恋の物語
さらに驚いたのが二人の恋の物語が三つもあることです。
「心から好きだよ チャコ抱きしめたい」
「心から好きだよ ミーコ抱きしめたい」
「心から好きだよ ピーナッツ抱きしめたい」
次々にナンパしている姿が、この歌を素直に好きになれなかった原因かも知れません。
また、この歌は、ピンク・レディーの『渚のシンドバッド』を連想させました。というより、『チャコの海岸物語』が『渚のシンドバッド』を真似た気がして抵抗を感じたのかも知れません。サザンにはデビュー曲『勝手にシンドバッド』の時からどこかふざけてる感をもっていましたから。
1982年の紅白歌合戦
この歌でサザンオールスターズはその年の紅白歌合戦に出場します。まだまだ厳格な雰囲気で、歌手の意向より局側の運営が重視されていた頃ですが、そこで、大胆なパフォーマンスを披露しました。私も観ていました。
顔におしろいを塗り、白袴。サザンの直前に白組で歌った三波春夫の真似をしながら登場します。歌の途中で「ありがとうございます」や「神様です」などの台詞を放ち、
「いけしゃあしゃあとNHKに出させていただいております。とにかく、受信料は払いましょう!裏番組はビデオで観ましょう!」(wikipedia チャコの海岸物語 より)
などの発言もありました。
これに「ふざけ過ぎ」と感じた人は私を含めてかなり多くいたようで、
「桑田のパフォーマンスは視聴者から大バッシングを受け、NHKに詫び状を書かされる事態となった。桑田は「詫び状なんか書くくらいなら二度と出ない!」という趣旨の発言もしている」(同)
とのこと。でも、翌年の紅白にもちゃっかり出場していました。
振り返ってみれば、紅白歌合戦に歌手の意向を反映させた革命と言えるかも知れません。
これ以外でも、サザンは度々「ふざけ過ぎ」と批判されることがありました。しかし、その後の対応?逃げ方?等が「まあ、サザンだからな。」や「さすが、サザンだな。」等と、不服があっても受け入れたり、逆に感心したりで、「国民的バンド」であり続けていることは認めざるを得ません。
また、真似をされた三波春夫は後年、
「(紅白の)得点集計コーナーで三波と桑田が並んだ際に客席から大爆笑が起こった事と、「(共演した際の印象として)彼の笑顔には真摯な緊張があったような……」「(前日に桑田の殺陣の動きが気になりアドバイスした際の印象として)素直にうなずく表情がとてもかわいい人でした」と桑田の印象と人柄を語り、「(デビューから数えて)20年の歳月は、人間の心を知る見事な歌手を育てました」「更なる精進と活躍を祈ります」と称賛している」
とのコメントを出しています。結局のところ、騒動のあった後の対応の上手さ以上に、桑田佳祐の人柄が、素直な真摯さを基盤にしていて、そこに稀有な才能とセンスが重なっていたということなのでしょう。
サザンオールスターズを受け入れる
大学に入学すると、周囲の友人はサザンの歌をよく歌っていました。仲間内でバンドをやっている人もいて、楽譜や歌詞カードを目にする機会が増えました。自然、サザンの歌詞も目にします。
知らない歌もたくさんありましたが、友人がギターで歌ってくれることもありました。ドライブに出かける時のカーステレオでも定番でよく流れました。
じっくり歌詞をみる内、やはりエロやジョークになってる歌詞も多いのですが、ふざけているというイメージは消えました。逆に、いかにエロやジョークを巧みに使って思いを伝えるかがサザンらしさになっている感じです。
そう考えると『チャコの海岸物語』も大いなるチャレンジの歌だったと思えてきます。好きになれないと思っていた歌は、むしろ、嫌いになれず気になり続ける魅力があったからで、いざその魅力に気づいたら、好きな歌になっていたという感じです。面倒な言い回しになっていますが、そんな経緯です。
チャコ、ミーコ、ピーナッツのこと
歌に出てくる3人については、ずっと後になって、チャコが、『ルイジアナ・ママ』の歌手で後に音楽プロデューサーになった飯田久彦さんであること、ミーコは『ヴァケイション』、『私のベイビー(「ビー・マイ・ベイビー」)』、『人形の家』等が記憶にある弘田三枝子さん、ピーナッツは、双子の女性歌手(デュオ)のザ・ピーナッツからきているのだと知りました。
そして、根底にはそうした人への敬意のある歌だと思うようになりました。
今回下調べをして気づいたのですが、この3組(4人)は1962年(昭和37年)、第13回NHK紅白歌合戦で顔を合わせています。しかもチャコとミーコは対戦相手。私が生まれる前の話です。
後にプロデューサーになったチャコはピンクレディーを発掘した第一人者。
となると、『勝手にシンドバッド』も『チャコの海岸物語』も『渚のシンドバッド』を茶化すというよりオマージュだったのでしょう。
また、ミーコこと弘田三枝子が 2020年7月21日に亡くなっていた(享年73歳)ことも下調べで知りました。時代は移り変わっていくのですね。この場を借りてお悔やみ申し上げます。
現在から38年前の『チャコの海岸物語』と当時の38年前
振り返れば、今からもう38年も前の歌です。
当時16歳だった私の38年前となると、1944年の戦時中です。高校生の私に、軍歌や戦後復興の歌があまりピンとこなかったのと同じで(幾らかの興味はありましたが)、今の高校生に『チャコの海岸物語』や私の高校時代の歌の話をしても通じない部分があっても無理からぬこと。
一方で、38年前に流行した歌が、軍歌であったか『チャコの海岸物語』であったかの違いを羨ましくも思います。戦時中となれば「男女七歳にして席を同じうせず」と言われ、7歳にもなれば男女の別を明確にして、交際することはおろか、隣の席に座ることもはばかられた時代です。一方現在の38年前であれば、男女が一緒にハダカでジルバを踊る時代です。この差を時代の違いというのは簡単ですが、一言では説明できない違いがあると思います。
「昔は良かった」なんてノスタルジックな話ではありません。どんなに遡っても軍歌が流行していた時代に辿りつけない程に、平和な時代が続いてほしいと思うばかりです。
今週のお題「夏うた」