前回「音楽17.『萌ゆる想い』(さとう宗幸)と『2年B組仙八先生』」の記事を仕上げた後で、(やっぱり『仙八先生』の挿入歌『不良少女白書』にも触れておきたいな)と思いました。きっと『萌ゆる想い』より、たくさん口ずさんできた私ですから。
『2年B組仙八先生』全45話の中に「不良少女白書」のタイトルが3回あります。そこに、歌『不良少女白書』(歌:榊原まさとし(ダ・カーポ)、作詞作曲:さだまさし)が挿入されていたのです。
頼りない記憶
ただ、その回がどんなストーリーだったのかはあまり憶えていません。少女がどこかの小屋だったか2階にひっそり隠れていたシーンと、再び学校に向かうシーンで挿入歌が流れ、教室の席に着いた時に、少女が「100じゃなければ0かあ。」と呟いていた記憶がぼんやりあるくらいです。でも、その台詞は歌詞にも通じるものでした。
また、その少女は典型的な不良少女ではなく、見た目どちらかというと優等生風だったように思います。ところが、ネットで検索してみると「長い髪のちこっと問題ありげな不良少女?みたいな女子」と「物静かで大人びた彼女に強い憧れを持った」という文章に行き当たりました。私のイメージと少なからず、ずれがあるようで混乱してますが、記憶違いならその記録として残しておくことにしました。
歌詞について
『不良少女白書』でよく取り上げられる歌詞は、
「人には黒く見えるカラスが 自分には白く見えてしまう
黒く見ようと努力したのに 人は大声で 聞いてくる」
「100じゃなければ 0ですか」
でしょう。
でも私の中で強い印象がある歌詞は
「自分に正直に生きるなら 風に逆らって生きるのなら
居直る事が 勇気だなんて 自分に甘えるのは およし」
の部分です。
勇気って何?
『仙八先生』の最初の回「教科書なんか焼け!」では、みんなで一緒に教科書を焼いてしまおうとクラスで話が盛り上がります。そして、夜に集まって火を起こし、次々教科書を放り込みます。火はどんどん大きくなり、みんな興奮状態になっていくのです。
でも、その場には来たものの、教科書を燃やすことにためらう生徒もいました。悩む生徒にむかって、他の生徒が
「なんだ?勇気がないのか?」
と言葉をかけ、悩んでいた生徒も
「そんなこと、あるもんか。」
と、ためらいを振り切って教科書を火に投げ入れてしまうのです。
ためらっていた生徒は、後にそのことを仙八先生に話します。仙八先生は
「勇気っていうのは、正しいと思うことを貫くことだぞ。悪いと思ってやることは勇気ではない。」「それは必ず後悔を生む。」
そんな話をしていました。
(記憶違いだったらごめんなさい。)
「自分に正直に、風に逆らって」生きること
そんなエピソードで始まったドラマだったので、『不良少女白書』の「居直る事が 勇気だなんて 自分に甘えるのは およし」の歌詞が胸に刺さったのだと思います。
歌詞の伝えたいことは、
「自分に正直に生きようとすれば、風(それは周りの流れや風潮)に逆らわないといけないこともあるだろう。そんな時、それならもうどうでもいいと自分の考えを捨ててしまったり、世の中が悪いと決めつけて孤独を決め込んだりするのは勇気ではなく、甘えているだけだ」
一言で言うなら、「周りに流されず、自分らしく生きなさい」でしょうか。
もう一歩踏み込んで「自分の風を起こす勇気を持って欲しい」かも知れません。
ぼんやりした記憶では、教科書を焼いた事件が学校に知れ渡った後、生徒達は職員室で教科書を印刷し綴じる作業に追われます。教科書を焼かずにいた生徒が作業を率先していたような。教科書を焼いた者の中には手伝わずにいた者もいたような。このとき三田寛子は印刷した教科書の紙をそろえていたような・・・。そして結果、クラスの結束が強まることになったような・・・。
「せっかく焼いてすっきりしてたのに、また手にすることになって残念だな。」
「一生懸命作ってたから貰っておいてやる。」
教科書を焼くと言い始めた生徒の中にはそんな悪態をつく者もいたような。
でも、嬉しそうな顔でもらっていた者もいたような。
(記憶に自信が無いですが・・・)
ドラマの中で「勇気がないと思われたくなくて教科書を焼いた」と後悔した生徒も、教科書を焼かなかったけれどその復元を手伝う生徒も、悪態をつきながら復元した教科書を受け取る生徒も、それはそれで自分に正直に生きる姿の様にも思えました。
勇気の形はきっと人それぞれ
歌は「居直ることは勇気ではない」と言いつつ、何が勇気かは示していません。でも、手掛かりなる歌詞はあります。
少し若さに思い上がり 転がる方が楽だと覚え
本当はとても優しいくせに すねて見せるだけの意地っ張り
本当はとても優しいのに、すねて見せているだけだと言うのです。当の不良少女がこれを肯定するのか否定するのかは不明ですが、本当の自分と、先に述べた正直に生きる自分は同じ意味だと思います。
究極の二択で自分に正直な選択をするために振り絞るだけが勇気なのでなく、日常で本当の自分を正直に出すことも、変な意地を張らないことも勇気だと思います。むしろ、日常の勇気がいざというときの勇気を後押ししてくれる気もします。
だから、きっと勇気の形は人それぞれでいいのだと思うのです。
わからないということ
歌詞は
自分の夢がわからない ああ
と、放り出された感じで終わります。
小屋に隠れ、学校に戻った時に「100じゃなければ0かあ。」と呟いた少女は、その言葉に納得したようにも、納得できないようにも見えました。それが「自分の夢がわからない」姿のように思えて、印象に残っています。
「本当の自分を正直に出す」のが勇気だとしても、「本当の自分」の姿も、それを「正直に出す」姿も、自分でもなかなかわからないというのが実際でしょう。
ただ、わからないからどうでもいいとなるのではなく、
わからないから、より一層自分を探してほしい。
たとえ、周りが受け入れてくれなくても、自分をあきらめてはいけない。
それが、この歌のメッセージのように思うのです。
今週のお題「わたしの好きな歌」