4月10日、大林宣彦監督の訃報を知りました。82歳とのこと。お悔やみ申し上げます。
尾道の街並み
大林監督の作品を通じて、尾道を知りました。もし、あと2年早く『転校生』『時をかける少女』を観ていたら、高校2年になる前の春休みの旅行で尾道を訪れていたと思います。特にこれと言った観光名所のない街に脚光を浴びせ、その魅力を浮かび上がらせるというのは、大林宣彦監督から始まったように思う程です。
『男はつらいよ』シリーズで、全国各地を回ったのは有名ですが、どこか観光地巡りをかねたイメージがありました。テレビのサスペンスドラマでも、有名観光地を紹介するような形で事件が起きていたように思います。
対して、大林監督の尾道作品には、尾道でなくても撮れるだろう物語を、尾道で撮ることにより、尾道でなくては撮れない味に仕上げていたように思います。他に誰もいないお寺の階段で転がったり、フェリーで街を離れようとしたり、地震で崩れるような門があったりーー。
瓦屋根の間に見えた火事もその一つ。古い街並みの狭い坂の路地と、古い家と火事のシーンが重なっていたからこそ、古くからずっと、細くも長く続いてきた時間が失われてしまう危機を観客は感じ取れたように思うのです。
京都では撮れない絵です。人が多く、格調も高く、ちょっとしたボヤでも全国にニュースが流れてしまいそうな注目度がありそうで、別物になりそうです。
もっとも、こうしたイメージは作品を観た当時に感じたものではなく、いろんな映画を観る中、また旅行をする中で、だんだんと気づいたことではあります。
淡い恋と薄い記憶
そうした場所に、監督は淡い恋?恋と言えるかどうかも曖昧な少年少女の気持ちを放り込みました。忘れてはいけない大切なことであると同時に、大人になった時の日常で忘れてしまいそうなこと、そんな仕掛けとも言えそうです。これが功を奏して、映画を観たリアル世代にとって、忘れられない作品と場所、忘れたくない作品と場所になっていると思うのです。
私自身、この大林マジックにかかってしまいました。高校時代に訪れ損ねてからも、尾道はずっと行きたい場所でした。幾度となく行ったことのある広島市と岡山市の間にある場所ですが、何かのついでに寄っていくことは難しく、はっきり尾道に行くという目的を持たないと行きつけません。
結局訪れたのは、映画を観て20年以上が経っていました。初めて訪れるのに懐かしく思えたのはそのせいでしょうか。ロケが行われた頃とは変わってきているという話を聞きながらも、変わらぬ面影を見つけては安堵していた感じです。
今は、映画やアニメ、漫画等の聖地巡礼なる言葉が一般的になりましたが、それとはちょっと違う気がします。憧れの地であると同時に、経験していないのに思い出の一つになっている場所。そんな感じです。
映画と映画が繋がる
尾道を訪れる前か後か不明ですが、尾道に関わる別の映画を観ました。『東京物語』です。この時、自分の中にあった尾道のイメージが、更に奥深くなった気がしました。
冒頭、瀬戸内の島に船が行き交います。映画を何度目かに観た時、ああ、そういえば『転校生』で家出するシーンのフェリーと同じ航路も写っているだろうか、なんて思うわけです。身勝手な想像だとは百も承知ですが、何某かの尾道への思い入れがあるからこその発想。
印象に残る映画が増える度、かつて観た映画と今観る映画が対話しているような感覚も増えます。新海監督の『君の名は』を観た時でも、似た感覚がありました。
そんなわけで『東京物語』と『君の名は』なら繋がりにくいのに、間に『転校生』や『時をかける少女』が入ると繋がってきます。戦後間もない昭和、昭和の終わる前、平成の終わり…一本の映画では見えない時代の移り変わりも感じることができます。
大林監督の尾道作品に出会わなければ、こうした映画の観方は得られなかったように思うのです。
「街を見る、街を知る、街に触れる」
大林監督にそんなことを教えてもらったように思います。
それゆえに、映画が印象に残り、他の映画と繋がり
「時代を見る、時代を知る、時代に触れる」
ことが楽しめるようになったと思うのです。
大林宣彦監督、ありがとうございました。
どうぞ、お安らかに。