tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn25.オフライン時代のオンライン機器を考えてみました。

私の高校時代(1981〜84年)のオンライン機器を考えてみました。

インターネットもなかった時代なので、当然、生活のほとんどがオフライン。

それでも、あれこれ考えてみると、幾つかオンライン機器がありました。

 

 

コンピュータ

友人の家で遊んだパソコン(当時の呼び名は、マイコン)に、通信機能は無かったです。それでも、プログラムのデータを録音用のカセットテープ(フロッピーディスクより前の話)に保存できたし、プリンタで印字もできたので、厳密に言えばデータを転送しているのですから、オンラインと言えなくもないです。ただ、現在の一般的なオンラインのイメージとは大きくかけ離れています。

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80年代のマイコン

ちなみに、Wikipedia によるとインターネットと言う概念が提唱されたのが1982年です。つまり、私の高校時代に、ようやくインターネットが構想され始めたことになります。パソコンやパソコン通信の登場が、1980年代後半ですから、まだまだ先。

では、私の高校時代に、オンライン機器はなかったのでしょうか?

 

オンラインの定義

改めて「オンライン」の定義を調べてみました。 

www.weblio.jp

なんだ、オンラインが「機器同士が物理的、あるいは論理的に接続された状態」なら、小学2年生の時に自作していました。

 

オンライン機器の原形?

これです!

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これもオンライン機器? 糸電話

糸電話がオンライン機器だという確信はないですが、その原型と言えるとは思います。もっとも、糸電話が使える範囲となれば、生の声が届く程度です。途中で糸が何かに接触して振動が止まれば使えません。それにしても単なる1本の糸の振動だけで、いろんな音を伝えられることに驚きます。しかも、糸をピンとつなげば、3台、4台と機器を増やすことも可能なのです。

 

ラジオ・テレビ

この理屈から言えば、送信機と受信機をつなぐラジオやテレビもオンラインの仲間と言えるかも。一つの送信機から圧倒的多数に送ることができる点では、糸電話を凌ぎます。ただ、通信が一方向でしかない点では糸電話にも劣ります。

 

公衆電話(100円玉の黄色いやつ)

電話も、オンラインでしょう。1980年代前半は、ダイヤル回線が主流でしたが、松山千春の歌『ふるさと』(1981年)に登場する「急いで捜す公衆電話 100円玉の黄色いやつ」によりプッシュ式が一気に普及(ダイヤル式の黄色もありました)。これは背景に、遠距離通話、長電話が日常的になったことがあると思います。80年代、大学の進学率が伸び、都会での就職志向の変化などによる、都会に出る若者の急速な増加も関係していると思います。

 

1960年代の集団就職の頃なら、電話が無い家は普通でした。1970年代は電話の無い家庭がまだありましたし、長電話の習慣も少なかったはずです。そして、80年代はほとんどの家に電話があり、長電話も増えてきていたと思います。お釣りが出なくても、100円玉の黄色いやつは、そうした時代に合致した公衆電話だったのでしょう。

 

アナログ回線の底力

黄色いやつでさえ、かなり古いイメージですが、この電話回線は音声だけでなく、FAXやインターネット(ADSL回線)を経由してデータも送れるようになりました。

後に、デジタル回線を利用するISDNが登場しますが、アナログ回線のADSLの方が圧倒的に送受信できるデータ量が多く速かったので、私は21世紀に入ってもまだ使ってました。ただ、ADSLは2024年に終了するそうです。

 

少し話がずれますが、映画『マトリックス』(1999年)で、携帯電話(スマホ以前)と公衆電話の扱いが面白いです。通常の通話は頻繁に携帯で行うのですが、仮想世界と現実世界の行き来には公衆電話が必須という設定でした。

一般の人々に携帯電話が定着し始めた頃の作品です。携帯電話の回線はまだまだ細く、大量のデータ(人間の身体)は送れなかったのでしょう。そして公衆電話を探すのに苦労するシーンが、当時の手軽な携帯電話、安定の公衆電話として共存していた時代を反映していました。オンラインとオフラインが交錯する時代だったからこその大ヒットの様にも思えます。 

 

カタカナ

そう言えば『マトリックス』で日本語の半角カタカナが意味ありげなデザインとして使われていました。半角カタカナは文字化けしやすいと聞いていました。

「日本語のひらがなや漢字は複雑でデジタル化が難しいため、コンピュータには不向き。アルファベット圏に比べて、日本にコンピュータが浸透するのは、かなり遅れるだろう。また中国はもっと遅くなるだろう。」

なんて話を聞いたこともあります。

そして、日本語には、カタカナがあるからと半角カタカナを独自に起用したとか。ただ、半角英数字と別規格のため、日本のガラパゴス化を進めたという意見もあるようですが、開発の遅れを小さくしたとも聞きました。真偽は不明です。

 

長らく電報の文章がカタカナだったのはそれと関係しているかも知れません。ひらがな電報のサービスが開始されたのは1988年ですから、カタカナの粘り強い健闘ぶり?は称賛?されていいと思います。

 

マークシート方式

高校時代は大学入試に共通一次試験がありました。模擬試験もそれに似た形で、マークシート方式を導入。データ化しやすくして、全国のデータを集積して大学の合否判定をしていたと思います。それもオンラインになるでしょう。

そう言えば、模擬試験の成績や評価が一部カタカナだったようにも思いますが、チョット、キオクニ ジシンガ アリマセン。

 

オンラインの基礎に80年代の技術がある

 

 思いつくまま、つらつらと書いてきましたが、80年代にも結構オンライン環境があったんだなと思えてきました。当初は、80年代はオンラインに縁の無い時代だと書き始めたのですが、既にその基礎になる部分はかなりあったようです。

 ここに書いたことが、今で言うオンラインの意味とズレがあるのは承知しています。でも、80年代の技術進化があって、オンラインの革命とも言える90年代のインターネット構築に繋がっているのは、確かだろうと思いました。

 

  


今週のお題「オンライン」