tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

猫、来~い。煮干しがあるよ(罠だけどね)

猫を飼ったことはありません。親しい誰かが飼っていた猫との体験もありません。

それでも、一緒に遊んだり、エサをあげたり、悩まされたりと、猫の思い出は結構あります。振り返ってみれば身近な動物の一つでした。

 

子どもの頃(多分、小学校低学年)、母方の実家に行くと、時折、祖母や祖父が残った煮干しなどを皿に入れて縁側の下に置くことがありました。ミルク(多分、ヤギ)のこともありました。それを猫が食べに来るのです。1匹だけのときもあれば、子連れで来ていたこともあります。時には、勝手口の近くまで来て「ニャア」と鳴いて餌をねだることもありました。

 

当初、てっきり実家で猫を飼っているのだと思っていましたが、どこかの知らない猫で、いつからかなついて、時折にエサを探して来るらしいということでした。記憶では、何匹かの猫が入れ替わりやってきてる感じでした。

 

猫と遊んでやろうと、煮干しを置いてじっと待っていたことがあります。姿を見せるまではすぐだったのですが、そこからなかなか近づいてきません。人間から餌をもらってるのに、人間を警戒する身勝手さも猫なんだなあなんて思いつつ、こちらも引かずに待ち続けます。時折「おいで~。」とか「こわくないよ~。」とか声をかけてみたものの、効果は無し。

 

猫は垣根や壁など場所を変えながら覗き見しては隠れ、隠れてはわざとらしい程にひょっこり顔を出したりします。その姿も何だか面白くて、ずいぶん長いことそうしていた感じがします。でも、このままじゃどうしようもないと一計を案じ、煮干しを小さくちぎって、遠い場所から点々と置き、私の近くまで来るように仕向けました。

 

垣根の辺りに尻尾の部分を一つ、そこから数m置きに、庭を横切って縁側まで並べます。そして私はまるまる一匹の煮干しを手に持って縁側で待つのです。 

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千切った煮干しを点々と置き、一匹持って待つ

猫は私が縁側に戻った途端、一番遠い煮干しのしっぽに飛びついていました。そしてすぐ垣根に隠れます。猫は垣根のそばをスタートラインと決め込んだ風に思えました。

(これは上手くいくかも・・・)

でも、まだ目と目が合うと警戒する様子。そこで知らんぷりを決め込んでよそ見をしていると、次をパクっとくくわえてスタートラインに戻ります。

(これは面白い!)

それでも警戒心は強いらしく、私は顔を隠したり、座布団をかぶったり、と気配を隠しながら、エサを食べに来るのを楽しんでました。そんな感じで、いつの間にか、私は縁側に面した部屋に身体を隠し、障子窓の陰から手に握った煮干しを出して、覗き見るようになっていたのです。

 

けれど、あと少しという所で、猫が見当たらなくなりました。

(もう、お腹いっぱいになってどこかに行ったのかな?)

でもまあ、なかなか面白く遊べたなぁと、部屋の中でごろんと大の字になって寝転がりました。

 と、その時。

「ふぎゃああ!」

と、いつの間にか部屋のすぐ手前で隠れていた猫に襲われたのです。

 そして、手に持っていた煮干しをあっという間にくわえて、外へ逃げ去っていきました。

 

私はただただ呆然とするばかり。

推測するに、猫は勝手口から家の中に入り、土間を通り、部屋の横で機会を狙っていたのでしょう。悔しくもありましたが、なかなか利口な猫に感心もしました。

 

その後、私を覚えたのか、寄ってくるようにもなりましたが、いつからか姿を見なくなりました。実家の隣や近所でも、エサを置いておくことはよくあったようですから、エサ場を変えたのかも知れません。そんな風に思っていました。

 

 

後にそうした猫が野良猫だと知りました。もしかしたら殺処分された可能性もありますが、野良猫が増えて困ったという話も聞きませんでした。誰かが飼うようになったのかも知れません。良く似た境遇の猫は、父方の実家にもいました。当時は、そう珍しい話でもなかったと思います。

 

最近、野猫、野良猫、地域猫の違いや、殺処分の問題、住民が噛まれて怪我をする等などの話を耳にするようになりました。猫に煮干しを奪われたことはあっても、以前はのどかに野良猫も人間も暮らせていたように思うのは、私の無知のせいでしょうか。イノシシや猿、シカ、クマ等が民家まで来るという話もほとんど聞かず、一方でスズメ、ツバメをよく見かけたものです。いろんな動物と一緒に暮らせていたように思います。動物から受ける被害や絶滅危惧のニュースが増えるにつれて、動物虐待の問題も、動物愛護の声も強くなっているように思えて、何か歪なものを感じてしまうのです。

 

それまで棲み分けができていた人間と動物の距離感が、いつからか崩れているような気もします。それは、人間と自然の距離感と言えるかも知れません。その辺、過去の記事と重なってしまいます。

自然と共に生きにくくなってきていると思えてしまうこの頃です。

 

 

今週のお題「ねこ」