tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn21.プロとアマと働きアリの法則

中学・高校時代はサッカー部でした。でも、全国大会に出場するようなレベルではなく、県の大会で2回勝てればまずますというところ。「強くなりたい」「上手くなりたい」という気持ちはありましたが、それなりでいいという思いもありました。

中途半端との批判もあるでしょうが、できれば、練習はきつくなく、楽しくできる方がいいという本音を持っていたように思います。

 

 

プロフェッショナルとアマチュアの違い

何かで、スポーツのプロフェッショナルとアマチュアの違いの話を聞いたことがありました。実際には、契約の有無や、報酬金額、精神面など多岐にわたる違いがある一方で、スポーツによってその線引きが異なり、境界が曖昧な部分も多いです。ここでは、その辺はひとまず置いておいて、印象に残っている言葉「チームスポーツでは、チームの力で個を育てるのがアマ、個の力でチームを育てるのがプロ」について考えてみます。

 

アマ

監督やキャプテンに上手く乗せられて個人がやる気を出したり、監督やキャプテンの意向が強く出てそれに個人が仕方なく従っている状態がアマ。全体の雰囲気に流される、自分で全体の流れを変える気概も力もない選手はアマ。もし、一人になってしまえばあきらめてしまう、そんな感じ。

 

プロ

個人の意欲に乗せられて、監督やキャプテンがその気になったり、個人の思いが強く、それに監督やキャプテンが引っ張られてしまうのがプロ。自分の思いが全体に浸透する、一人で全体の流れを変えられる選手はプロ。たとえ、一人だけになってしまってもあきらめない、そんな感じ。

 

ここまでのまとめ

要するに、所属するチームによって、意欲を持ったり失ったりする間は本物ではないという意味だろうと思っていました。私もアマの一員だと思っていましたし、それでいいとも思っていたのです。10年ほど前「働きアリの法則」を知るまでは。

 

働きアリの法則

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働きアリの法則(2:6:2の法則)

ウィキペディアWikipedia)』では、働きアリの法則(2-6-2の法則ともいう)を

・働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
・働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。
・よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
・よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
・よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
・サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。

としています。

もちろん、これはアリの集団での話なので、それがそのまま人間のスポーツチームに当てはまる訳ではありません。

 

プロとアマの違いを考え直す

ただ、上で述べた「所属するチームによって、意欲を持ったり失ったりする」ことが、プロ・アマを区別する要因とは言い切れないんじゃないか?と思ったのです。実際、プロの選手でも、あれだけ志の強いと思われた選手がなんでこんなになったんだろうというケースもあります。一方で、この人は何をしても駄目なんじゃないかと思える人が、何かのきっかけですっかり頼れる存在になったこともあります。

 

プロ中のプロ

周囲の状況に左右されずプロ中のプロであり続ける人、周囲に燦然と光を放つスーパースターは確かにいます。その存在は、スポーツの歴史を変えた偉人とも言えるでしょう。ただ、やはりそれは稀有な人であって、強い向上心と飽くなき努力をすれば誰でもなれるという訳ではないでしょう。

当然、それなりにできればいいという思いがある私には、縁がありません。

 

アマ中のアマ

でも「サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。」のであれば、自分のような者でも、どこかで、役に立つことがあるのではないか。否、たとえ自分がサボり続けることしかできなかったとしても、働きだした者の背中を押すくらいはできてるんじゃないか――。

働きアリの法則には、

(結果的に)一生ほとんど働かない結果となるアリもいるが、そのようなアリがいる一見非効率なシステムがコロニー(巣)の存続には必要だという。

との説明もあります。

そうであるなら、アマ中のアマな私にも多少の存在意義があるのとも言えそうです。

 

チームの質

「チームスポーツでは、チームの力で個を育てるのがアマ、個の力でチームを育てるのがプロ」この言葉は間違ってはいないけれど、それだけではないと思います。

個を受け止められるチームかどうかです。個人が孤立するチームであれば、上の言葉はあり得ないでしょう。もっと極論すれば、誰かが孤立しているチームは、チームとして成熟していないと言えるのではないでしょうか。

働きアリの法則も、働かないアリがいるコロニーでは成り立ちますが、働かないアリを排除するコロニーでは成り立たない法則です。働くアリがいないコロニーも、働かないアリがいないコロニーも、そのままでは機能しなくそうです。一見矛盾した感じですが、結果論として、働くアリのために働かないアリも必要というのは、示唆に富んでいる気がします。

 

バランスのとれたチーム

そんな訳で、チーム(職場も含む)の質を見る時、働かない(働けない)者がどう受け入れられているかは大切な視点だと思うようになりました。もちろん、働かないことに無批判で良いはずはありませんが、一律的に排除するのも良いとは思えません。

例えば、チームスポーツでは怪我人はつきものですが、強いチームはそれをカバーできる層の厚さがあります。また実力の劣る者が力を延ばせる風土もあります。これはプロ、アマを問わないでしょう。

病休や産育休をとる人が、職場でハラスメントを受けるという話も聞きます。でも、ハラスメントが強くなっていくと、普通に仕事している人もプレッシャーを感じるようになり、働きにくい職場になっていく例も聞きます。

「働きやすい職場とは、休みが取れやすい職場」という意見も聞くようになりました。ただ、それは、休みをとることが適度に自制される個人の意志が育っていることが前提になっているようです。この辺が、チームの力で個人を育てることになるのかも。また、休みの取りにくそうな職場で休みを申請することが、個の力でチームを育てることなのかも。検証してみる価値はあるかも知れません。

 

プロとアマの共通点

高校時代にこのことに気づけていたら・・・、もう少し、積極的にサッカーに打ちこめていたかも。同様に、社会や職場がこれをもっと受け止められていたら、もう少し、未来が拓かれた国になっていくかも。

などなど思う所はあります。

最近は、「チームスポーツでは、チームの力で個を育てるのがアマ、個の力でチームを育てるのがプロ」は、プロとアマの違いを述べたのではなく、共通点を述べていると思うようになりました。プロを標榜することでアマの質が上がり、アマの精神を内包しつつ上を目指すことでプロとして完成していく、そんなイメージです。

 

アマが目指したくなるプロ、プロが育てたくなるアマ、それが理想なのかも知れません。