tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

二十歳は成人か、五十四歳の私は成人か、今なお思案中。

青臭いことを言わせてください。

高校時代、生きてさえいれば、二十歳になれるのはわかり切ったことでしたが、自分が成人になれるかどうかには自信がありませんでした。

 

 

 成人とは

「成人とは、心身が十分に成長した人」とされますが、その判断は、いつだれがするものなのか、私は未だ答えを持っていません。成人式は、成人になった人のための式ではなく、成人になることが許される人のための式だと今でも思っています。「二十歳=成人=大人」という世間の常識のようなものに対して、中学生の頃から「大人になりたくない」という思いがありました。その思いは高校時代に映画『ブリキの太鼓』を観てより強くなり、同時に「成人とは、大人とは何か」と考えるようになりました。 

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「二十歳=成人=大人」なのでしょうか?

成人は選挙権のようなもの

今は、18歳で選挙権を手にできますが、私は20歳で得ました。その可否はともかく、成人は選挙権のようなものという印象があります。1983年に参議院選挙で初めてドント方式が導入されました。当時、「政治・経済」を選択履修していたこともあって私の興味関心は高かったのですが、その投票率は6割に満たず、とてもがっくりしたのを憶えています。「何故、大人なのに投票に行かないのだろう。」の疑問は、大人に成長するのを拒否した『ブリキの太鼓』の主人公オスカルと共通するものを感じて、変な納得をしてしまいました。

二十歳を迎えても成人を拒否する人がいるのと同様に、選挙権を与えられてもそれを行使したがらない人もいるのだろうという感じです。

 

投票に行くかどうかの自由

選挙権=投票権ではありません。選挙権には、選挙があることを知らされる、立候補者について知ることができる、政策についての考えが聞ける等も含まれます。その上で、投票に行くかどうかの自由もあります。

投票に行かなかったからといって処罰されることはありません。でも、選挙権をちらつかせ、贈賄を求めれば処罰対象です。

 

成人として行動するかどうかの自由

それと同様だと考えていました。成人式があることを知らされる、どんな社会が待ち受けているか知ることができる、成人になるにあたっての夢が語れる等も含みます。その上で成人として行動するかどうかの自由もあると--。

成人らしい行動をしなかったからといって処罰されることはありません。でも、成人だと思いあがり、著しい迷惑行為を行えば処罰対象です。

 

自由には覚悟が伴う

選挙権を行使せずにいて、あるいは投票に行くなどしても、政策的な不利益を被ることは、いつもと言える程、往々にしてあります。それに対してそのまま黙るのも自由ですが、それは政治的不自由を受け入れる覚悟と表裏一体です。

成人らしい行動をせずにいて、あるいは見かけだけ成人っぽく行動しても、不利益を被ることは、いつもと言える程、往々にしてあります。それに対して逃げ続けるのも自由ですが、それは一人前扱いされない不利益を受け入れる覚悟と表裏一体です。

選挙権を行使し、成人らしい行動をしても、不利益を被ることは、いつもと言える程、往々にしてあります。それであきらめてしまうのは自由ですが、それは現状以下を受け入れる覚悟と表裏一体です。

 

 本当に「二十歳=成人」なのか

繰り返します。「成人とは、心身が十分に成長した人」とされます。

では、逆説的に、もうこれ以上成長できなくなった人は存在するのでしょうか。

或いは、二十歳になれば誰もが十分に成長した人になれるのでしょうか。

そんなことは無いと思います。生きてさえいれば二十歳に成れますが、それだけでは厳密には成人に成れたとは言えない、そう思うのです。

 

私は成人か

そんな訳で、今でも自分が成人と言えるかどうかは、わからないままです。

「 いい大人のくせに、屁理屈を言うな」と言われるかもしれませんが、いい大人とはどんな人間を指すのかもわからないです。54歳になっても、オスカルのように、大人になりたくないという気持ちが心の端っこで燻っています。その意味で成人とは言えないでしょう。

その一方で、酒も飲むし、タバコも吸うし、投票にも行くし、成人限定の場所にも当たり前のように訪れます。もちろん、世間一般に、私が大人として扱われることも、その責を負わなければいけないことも、わかっているつもりです。その意味では成人です。

 

私にとっての「成人の日」

毎年のように報道される、成人らしからぬ成人式にがっくりして、「今の新成人は…」と愚痴りたくなる一方で、そんな新成人を育てた一人に私も含まれているのだと思うと、もう一度がっくりきます。

 

去年7月の参議院選挙の投票率は、5割を割り込みました。

 今、二十歳以上の成人らしい成人率はどのくらいなのでしょう。

 その中に果たして、「いい大人」も含まれるのか、また自分もそこに含まれるのか、あれこれ気にしつつ、私にとって「成人の日」は相変わらず、 「成人に成れたかどうかを自らに問う日」であり、今年も「まだ成人には成れていないよなぁ」と二十歳から続く宿題を思い出してしまう日でした。

 

 

今週のお題「二十歳」