自動販売機に興味をそそる飲み物を発見。早速、買って飲んでみました。どれもが100円で買える消費税導入前の時代。ただポカリスエットは120円だったはず。
「おぉ、これ美味しいかも!」
一緒にいた友人もちょっと気になったみたいでした。
「ほんと?」
「うん。僕は嘘は言わないよ。」
「ん~・・・。」
私の言葉を信じたものかどうか、友人は悩んでる様子でした。
「ほんと?」
と、もう一回聞いてきたので、念押ししたかったのでしょう。
「生まれてこの方、一度も嘘をついたことのない僕が言うのだから間違いないよ。」
と、さらに詳しくはっきりした口調で答えます。
「あはは、それ、嘘だろ。」
「なんでわかった。ごめん。正直に言う。今、生まれてはじめて嘘ついた。」
「それも嘘。」
これは「遊び12.正直地蔵とうそつき地蔵」のパズルから思いついた遊び(いたずら)です。
記事には『正直地蔵でも、うそつき地蔵でも同じことを言う。』と書きましたが、現実の社会にあっては、「嘘が言えない」人も「嘘しか言えない」人もいません。常に、その人が今言ったことが本当なのか嘘なのかを、意識的にしろ、無意識的にしろ、判断を求められます。それは、相手だけでなく、どのような場でどんなタイミングで言ったのかなども判断材料になります。
相手が親しい友人で、喉を潤そうと自転車を止めて、自動販売機でジュースを買った時のことでした。一言一句まで正確に覚えているわけではないですが、こんな感じの会話でした。私が買ったのは、「つぶつぶオレンジ」。まだそれほど流通してなかった頃だったと思います。正直、その商品は果汁が薄く、それほど美味しいとは思わなかったのですが、つぶつぶを噛みながら飲むのはこれまでにない食感だったので「美味しいかも。」と言ったのでした。厳密に言えば、個人の感想であって嘘ではないです。
結局、友人も買って飲みました。似た感想でした。
美味いとは言わないまでも、何か足りない感じ。
「ぶつぶつオレンジか。」
と呟いたら、ぶふっ!と友人がむせました。
ぶつぶつとつぶつぶでは、全然感じが違うし、不味くなるからやめてくれ、とのこと。
私は、ぶつぶつ不満が言いたくなるという意味だったのですが、確かに、商品名がぶつぶつオレンジだと売れそうな気がしません。
なお、イラストと実際の商品はぱっと見では似ている気はしますが、別物です。
また、話がずれました。嘘か本当かの話に戻します。
「僕は嘘は言わないよ。」
なら、ちょっと信じてみようかな?となるのに、さらに詳しく
「生まれてこの方、一度も嘘をついたことのない僕が言うのだから間違いないよ。」
と言うと、とたんに嘘だと思うのは面白い気がしていました。
その場限りの話についてなら、「僕は嘘は言わないよ。」は本当かもと悩んでしまうのに対して、「生まれてこの方、一度も嘘をついたことがない」は全然信用されません。これは「人間はどこかで必ず嘘をつくものだ」という確信があるからでしょう。変な話ですが、信用とは、どこかで必ず嘘をつくと確信している相手に対して、何か限定のことについて信じることと言えるのかも知れません。「遊び12.正直地蔵とうそつき地蔵」にも書きましたが「疑うことなく信じるなかれ、信じることなく疑うなかれ。」です。
ちなみに、「それ、嘘だろ。」と言われたときに、別の返事も用意してました。
「嘘じゃなくて、ジョークだよ。」
100%嘘であるとわかることは、もはや嘘としても通用しません。それはジョークの領域でしょう。
高校時代、こんなジョークを知りました。
人気の出ない芸能プロダクションが新しい才能を求めて募集をかけると、一人の男が面接にやってきました。
「私は鳥の物まねができます。人をあっと驚かせることができます。」
プロデューサーは、あきれた顔で言いました。
「そんなありきたりの人間はうんざりだ。もう帰ってくれ。」
すると男は
「わかりました。では他の所に行ってきます。」
と言って、面接室の窓から、羽ばたいて出て行きました。
人が空を飛べるなんて、嘘というよりジョーク。高校時代にはそう思っていましたが、成人後、その認識を改める歌に出会います。
『チッポケなウソついた夜には
自分がとてもチッポケな奴
ドデカイウソをつきとおすなら
それは本当になる』
THE BLUE HEARTS の『泣かないで恋人よ』という歌です。
確かに。「人が空を飛ぶ」という話も、以前は誰も信じない嘘か、ジョークだったでしょう。でも、ライト兄弟が飛行機で飛ぶより以前から、ハングライダーや気球で空を飛んだ歴史があります。それでも、飛んだのは人間ではなく機械であるという見方もできました。しかしロス五輪で披露されたジェット・パックは、機械に乗るというより、身に着けるといった感じになり、今やジェットスーツの名で服の一種といった様相に近づいています。もはや、人が空を飛ぶというのもジョークでも嘘でもなくなりつつあるのかも知れません。
では、「私は生まれて一度も嘘をついたことがない」はどうでしょう?
普通ならジョークなのでしょうが、近い将来その台詞をAIが語ったとき、人は信用するのか、ジョークとしてさらりと流すのか。
1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』でもそれを問い、AIは信用できないと結論を出しました。ただ、映画では嘘の映像を流すプログラミングをされていたAIだったので、AI自らが暴走したと言えるのかは、あやふやさが残ります。
今の時代であれば、将棋のプロでも不正のないAIに勝てなくなってきてます。将棋には多くの場合、局面を左右する一手があります。AIの手筋にはその理由が不明な手もあると聞きます。つまり、AIの出した答えが正しいのか嘘なのか、その検証自体が難しい場合があると言えると思います。
いつか、自動運転車の技術が高まり、車に乗って目的地を言えばその場所に連れて行ってくれるようになった頃、途中の道が不安で「本当にこのルートでいいのか?」と聞いた返事が「私は一度も嘘をついたことはありませんよ。」だったならーー。
信じますか?信じませんか?それともジョークだと笑いますか?
またまた、何が言いたいのかわかりづらい記事になりました。
ただ、本当と嘘とジョークの区別は、相手が人間であれ、AIであれ、今後も悩みそうな気はします。