tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

授業12. LHRアンケート「この人を動物にたとえるなら何ですか?」

以前、高校の放送部(多分)からのアンケートのことを書きました。

その際、

1.「生まれ変われるとしたら、男と女どちらがいいですか?」

私の回答は「どちらでもいい。」その理由は「今は男だが、前世では女だったから。」そんな感じ。 

2.「勉強することにどんな意味があると思いますか?」

「勉強は定規のような物、何を手にするかより、どう使うかが大事。」 

3.「あなたにとって、高校時代とは何ですか?」

「天に上る機を待つ龍の住み家」

と、まあ、格好つけた?回答をしてた私。

 

 

今回は、多分高校1年のクラスのLHR(ロングホームルーム)の時間に行われた、動物アンケートについてです。LHRは、クラスメイトの中の何人かが提案者となって、1時限の時間を使って何か企画をするというのがあったと思います。その一環での話。前に立って説明していた人が学生服や春秋服(=夏服ではない)だった記憶と、まだクラスメイトの顔と名前に自信が持てない人もいたので、アンケートの内容を聞いたときにあまり知らない人のアンケートが回ってきたら困るなぁと不安になった記憶があるので、1学期の前半頃のことだったと思います。(自信はありません。)

 

アンケートにはクラスの誰か一人の名前が書かれていて、質問内容は、

「この人を動物にたとえるなら何ですか?その理由も書いてください。」

というものでした。私が誰のことをなんて書いたのかは記憶があいまいです。ただ、幸いにしてアンケートにある名前を見て安堵したのは憶えています。全く知らない人ではなかったはず。一方で、クラスにまだよく知らない相手がいるのに、無茶なアンケートをさせるなあとも思いました。もしかしたら、書かれた内容に怒り出す人がいるかも知れないとも考えましたから。

 

私は、クラスでは地味でネクラに思われているという自己認識だったので、もし書かれてるとしたら何だろうかと、幾つかの予想を立てていました。

 

アンケートを回収してから結果発表です。40人を超える生徒がいるので、一人一人の結果を淡々と発表していきます。「なるほど。」とか「当たってる~。」の反応が中心で、たまに「え~?」や「そうかなあ?」と意表を突かれることくらいはあっても、比較的、和やか、穏やかで、心配したようなハプニングも無く、どちらかと言えば笑い声の方が多い感じでした。

 

さて、私の番が来て、挙げられた動物は「コウモリ」。理由は「何を考えているのかよくわからない」といった感じだったと思います。

私は内心(理由も含めて的中した)と、してやったりでした。お互いそれ程知り合えてない相手もいるので、その回答は十分予想できたし、納得だったのです。

 

ただ、一般にコウモリは、吸血、洞窟に潜む、夜活動する等の暗いイメージが強いようでした。また、イソップ童話の『鳥と獣とコウモリ』の話も『卑怯なコウモリ』との別名があるように、狡賢いイメージもあるようです。ウィキペディアでは、

「昔々、獣の一族と鳥の一族が戦争をしていた。 その様子を見ていたずる賢い一羽のコウモリは、獣の一族が有利になると獣たちの前に姿を現し、「私は全身に毛が生えているから、獣の仲間です。」と言った。鳥の一族が有利になると鳥たちの前に姿を現し、「私は羽があるから、鳥の仲間です。」と言った。

その後、鳥と獣が和解したことで戦争が終わったが、幾度もの寝返りを繰り返し、双方にいい顔をしたコウモリは、鳥からも獣からも嫌われ仲間はずれにされてしまう。

双方から追いやられて居場所のなくなったコウモリは、やがて暗い洞窟の中へ身を潜め、夜だけ飛んでくるようになった。」

と紹介されているお話。

 

でも、私の持つコウモリの印象は、負のイメージが強めだとは言え、さほど悪いものではありませんでした。この辺、手塚治虫のコミカルな漫画『ドン・ドラキュラ』が影響している気がします。不遇な境遇でも、精一杯生きているという感じです。イソップ童話の「鳥と獣とコウモリ」の話も、ひどいのはコウモリではなくて戦争という私なりの答えを持っていました。

 

 

※ 「鳥と獣とコウモリ」について、ウィキペディアでは秀逸な説明がされています。リンクを貼っておきます。

卑怯なコウモリ - Wikipedia

 

私としては「コウモリ」は納得だったのですが、「そのたとえはちょっと酷いのではないか」と思う人もいたようでした。それはそれで気にかけてくれているのだと感じて、うれしかったのを憶えています。

 

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少し話がそれますが、 THE BLUE HEARTSは名曲『リンダリンダ』で

「ドブネズミみたいに 美しくなりたい

 写真には写らない うつくしさがあるから」

 と、これまで誰も感じなかった価値観がドブネズミにあると歌い上げ、世に広く認知されました。初めてこの歌詞を聞いたとき、とても共感したのを覚えています。ドブネズミとコウモリに共通性を感じたからです。

 

また、後年、ジュゼッペ・トルナトーレ監督のイタリア映画『マレーナ』を観たときも、コウモリやドブネズミに似たものを感じました。モニカ・ベルッチ演じるマレーナが戦争に翻弄され、蔑視を浴びながらも懸命に生きる強かな姿には感銘を受けました。きれいごとですまない選択を強要されるのが戦争の一つの残酷さだと思います。

 

そんなこんなで、今でも、自分がコウモリにたとえられた事は、密かに幸運だったと思っているのです。

 

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<余談 二十世紀末に流行った動物占い

2000年頃に動物占いが流行しました。漫画家の玖保キリコさんのイラストも流行を後押ししていたと思います。その占いには残念ながらコウモリはありませんでした。そこでの結果は「ゾウ」でした。説明文には思い当たることも結構あったのですが、基本誉められてるようで気恥ずかしく、苦手です。

今も、当時と多少趣が違う感じですが、動物占いはネット上で続いているようです。でもそこにやはりコウモリは存在せず、ちょっと残念。

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