tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn16.記憶なんて不確かなくせに、驚くほど憶えてる。

今週のお題「わたしの自由研究」。これは断言できます「tn198403s 高校時代blog」自体が私の自由研究です。

 

そのサブタイトルがこれ。

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

 

平均週2回の更新ペースで、これまでに書いた記事が83です。一部にこじつけ的な記事もありますが、どれも高校時代の経験や記憶と関わらせて書いてきました。そこで気がついたことは、「人の記憶とは、自分で思っている以上に不確かではあるが、思っている以上に憶えていることは多い。」ということ。

 

ここで「覚えていること」という表現は正確ではないかも知れません。言い換えるなら、思い出すことがないままに沈殿している記憶とする方が良いかも。ひっそりと沈殿した記憶の地層に、何かの刺激で強い水流を起こせば、舞い上がる記憶はかなり多いという感じです。ブログを書いている途中で、そう言えばこんなこともあったなぁと、不意に思い出すことって多いです。

 

例えば、「映画10.映画観で1本観るのに必要な料金と得られたもの。」に書いたこの一文。

「席の窮屈さと作品がセットになって記憶されているものもあります。高校時代に限って言えば『U・ボート』が筆頭。席の狭さに潜水艦内の狭さが重なり、わずかな身動きで椅子がきしんだ音が、深海にある潜水艦のきしみのように感じられ、びくっとしたことも憶えています。」

 

ここでは「憶えています」と書いていますが、実は「U・ボート」の記事を書いているときに、思い出したとする方が正しいです。席の窮屈さは覚えていました。でも、記事を書いている途中で、足を組んだ際にギギッと鳴った乾いた音をリアルに思い出したのです。もっとも、それは脳内で勝手に作られた記憶の可能性もあります。でも、耳から入った音に身体がびくっと反応した瞬間のことが蘇りました。

 

通学時に鳴らされた車のクラクションの記事も、書いている内にどんどん当時の様子が思い出されて、やたらと長く詳しい記事になりました。

こうした例は他にもたくさんありました。

 

刑事ドラマなんかで、容疑者や参考人を質問攻めにして、何とか記憶を引き出そうとしてる内に「思い出したよ、刑事さん!」とかいうシーン、よくありますよね。あれ、このブログを書くまで、(そんなに、都合よく思い出せるものじゃないだろう?)とあまり信じてませんでした。

 

でも、小さな記憶を丁寧に思い出すことを繰り返している内、不意にタイムスリップして、まるで今その場に居るんじゃないかと思うくらい、いろんな記憶が鮮明になる瞬間があります。よく似た画像が並びそれを立体視するときのように、ピタッと焦点が合う感じ。ただ問題なのは、だからといってその記憶が正しいかどうかは別ということ。無意識の内に、記憶を勝手に作ってしまった上、さも、それが当然の事実のように感じてしまうのです。

 

音楽5.『ルビーの指環』(寺尾聰)」の記事は、まさにそれ。

「歌い始め「くもり硝子の向こうは 風の街」のところ、ずっと「くもり硝子の向こうは 雨の街」と思い込んでいました。頭の中にはずっと、雨の湿気で硝子が結露して曇っていたというイメージだったのです。そのため「枯葉ひとつの重さもない命」は、ぬれ落ち葉で、街ゆく人に踏みつけられてるイメージでした。」

どこで記憶が入れ違ったのかはわかりません。でも、歌詞を改めて見ると、確かに昔は「風の街」と記憶していたように思う?思えてくる?のです。

 

裁判のシーンで「異議あり!それは、誘導尋問です。」なんてありますよね。誘導尋問くらいで、ころころ変わるような記憶なんて、最初から証拠にならないだろう、と思ってましたが、どこで記憶がすり替わるか危ういものだと認識を改めました。

 

もし、このブログを書き始める前に何かの裁判で証人となっていたら、検事に

「あなた、高校時代から『ルビーの指環』、何度も歌っていたそうですね?今でも歌えますか?」

と聞かれた時に、平然と、いや、むしろ得意気に

「く~もっり硝子の向こうは 雨の街~♪」

歌ったはずです。そして、

「あなたは、先程、高校時代の記憶は思っている以上に憶えていることは多いと、おっしゃった。確かに記憶していることは多いかも知れないですが、その記憶が正確だと言えますか?本当の歌詞は、くもりガラスの向こうは、風の街なんです。あなたは、天気予報の曇りのち雨という言葉を聞いただけで、くもりガラスの向こうは雨だと思い込むような、周囲に流れされやすい記憶しか持ち合わせていないんじゃないですか。」

そう言い放った後、踵を返し、

「裁判長、私はこの人の話は証言にならないと判断します。よって、直ちに証人席からの退席を求めます。」

と、詰め寄られ、すごすごとその場を去るのでしょう。

「そうか、天気予報の「くもりのち雨」で私の記憶がすり替わってしまったんだなぁ。」

とでも、呟きながら。

 

そう思うと誘導尋問、恐いです。ひっかからずに生きていくのは大変そうです。

でもね、そう思えたのも、このブログで私の記憶を検証したから。

「古きを温めて過ちを知る」(ふるきをあたためて あやまちをしる)

f:id:tn198403s:20190902223033p:plain

それだけでも、このブログには意味がある。

そんな「わたしの自由研究」、中間報告でした。