tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn14.連絡船のうどんは旅情の美味しさ

今週のお題「わたしと乗り物」。

高校時代は四国在住だったため、四国から出るには船が必須でした。本州と橋で行き来できるようになったのは大学時代以降でしたから、船はけっこう身近な乗り物だったのです。

 

国鉄(現在のJR)利用だと、宇高連絡船を使うことになります。高松駅で降りた後、高松港までちょっと長いセメントの通路を通ります。冬であれば、結構冷たい風が吹き抜けていました。船が接岸するのを並んで待つこともあったように思います。列車に乗る際にホームに列を作るのと同じですね。

 

乗船口が開くと、我先にと小走りになって席を求めます。渡航時間は1時間程だったはず。その時間を快適に過ごすため、席の争奪はけっこう熾烈な競争だったような気がします。確か、あまりの混雑でけが人や死者が出たという話もあったような・・・。

 

船に乗って、幾らかの待ち時間の後、船が出港する前には、席・場所の争奪戦は終了してします。船内には幾つかのテレビがありました。エンジンがかかっていれば、映っていたと思います。ただ、映りはあまり良くなくて、ブラウン管の画面では、垂直同期に白い帯が絶え間なく上がっていた印象があります。音も不明瞭で、海の波音のごとく寄せては返すような雑音があったように思います。

 

船の席を確保したら、次に気になるのは連絡船内で売られる「うどん」です。単に美味しいかどうかで言えば、既に茹で上がったうどんを船に乗せ、うどんとして売っている訳ですから、格別の味ということはなかったように思います。でも、出汁は普通に讃岐うどんで使われる物を使っていたので、全然ダメという訳でもないという感じ。ただ、旅情と言う特別な味覚が呼び起こされるのでしょう、やたら美味しく感じられ、宇高連絡船に乗ったら「うどん」は定番でした。映画『UDON』でもそのことにちらっと触れていましたが、「そうそう、わかってるね!」と思ったのを憶えています。

 

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本当は、本州から四国に向かう連絡船のうどんがこそが、ソウルフードだったという話も聞きます。旅情の上に郷愁の味覚もあったのでしょう。ただ、私の感覚からすれば、もう少しで本物のさぬきうどんが食べられるのにそんなに急かなくても・・・という気持ちもあるのですが、それだけ讃岐うどんを待ち切れない思いが強かったのかも知れませんね。 そこは個人の思いを尊重したいです。

 

連絡船が消えた現在、移動する船の甲板で、潮風に当たり、遠ざかる、或いは近づく四国に思いを馳せながら食べる旅情たっぷりのうどんは、もう味わえません。確かに橋は本州と四国の時間的な距離をぐんと縮めてくれました。便利という点ではかなり効果があったと思います。物資の輸送も格段に早くなり、経済的にも後押しになったでしょう。

 

時代とともに古い交通手段が消えていくのは世の常ですから、その交通手段とセットになった食べ物が消えていくのも致し方ないものかも知れません。私は訪れたことがありませんが、かつて宇高連絡船が発着していた高松駅には、「連絡船うどん」なる店があり、一定の人気を得ているのだとか。ただ、それは思い出という美味しさであって、旅情という味とはどこか違う気はします。

 

最近は、特急列車で車内販売も次々に廃止になっています。人件費や駅弁の売れ行きなども影響しているのだとか。一方で観光列車などに特化された話も聞くようになり、庶民にとっての旅情豊かな食べ物はだんだん減ってきているようです。もっとも、高速化がどんどんすすみ、出発地から目的地までをいかに速く安く移動するかの方に関心が集まり、旅情という概念自体が変質してきている気もします。便利になるほどに移動時間の価値や楽しみ、旅情を味わう機会がどんどん減っていくことに、どこか矛盾を感じてしまう私です。