薬師丸ひろ子のデビュー曲『セーラー服と機関銃』がヒットした時、少し複雑な思いがありました。
主な理由は2つ。
映画のヒットに支えられた歌のヒットに、なんかずるいという気がしたのが1つ目の理由。「歌のヒットは、歌の魅力で作るべき」みたいな思い込みがあったのです。角川映画自体は結構好きだったのですが、当時の映画評論家からは批判を浴びることも多く、主演女優に映画の主題歌を歌わせて両方のヒットを狙う手法も批判の的になっていました。そんな批判が私の思い込みを、支持してくれたように感じていた期間があったのは事実。でも、その思い込みはやがて消えました。
映画が歌の魅力を増幅できる力があるとしても、それは歌自体に魅力があってこそ。また、歌が映画の魅力を増幅できたなら、それも映画の魅力だと考えるようになりました。そんな相互作用を仕組めるのも映画会社の力であると、少し大人な観方ができるようになったのは、『セーラー服と機関銃』のおかげのように思うのです。
複雑な思いを持った2つ目の理由が、『夢の途中』(来生たかお)のヒットです。
これも勝手な思い込みで、業界の内紛といった黒い部分を垣間見た気がしていました。角川映画側が来生たかおから歌を奪ったのか、来生たかおが角川映画に反旗を翻したのかと考えたのです。
特にこの2曲はほぼ同時(実際には来生たかおの方が10日程早い)に出た感じがあったので、きっと何かあったのだろうと思い込む原因にもなりました。
でも、これも後になって、考えが変わります。ほぼ同じ曲を同時期に売出し、その両方がヒットしたのは、珍しい相乗効果であり、成功させた企画や発想が優れていたと思うようになったのです。それまで、カバー曲や映画のリメイクも、なんかずるいという気がしていましたが、それを成功させるのも簡単なことではなく、実力がなければ成功できないことだと気づきました。
2曲のレコード売上は『セーラー服と機関銃』86.5万枚、『夢の途中』40.6万枚だったそうです。これをどう見るかも意見が分かれるかも知れませんが、「来生は薬師丸の予約枚数を聞いて、自分が大差をつけられたらと不安になったが、2曲ともベストテンに入って安心した」(ウィキペディア)とのことです。結果論ではありますが、自他ともに認める大成功だったと言えそうです。
ところで、ご存知だとは思いますが『セーラー服と機関銃』と『夢の途中』では一部で歌詞が違っています。その違いが謎として私の印象に残っています。
2つの歌詞で違っているのは、1番の歌詞の
aa 夢のいた場所に 未練残しても 心寒いだけさ(セーラー服と機関銃)
bb 現在(いま)を嘆いても 胸を 痛めても ほんの夢の途中(夢の途中)
の部分です。これも、私の勝手な思い込みだとは思うのですが、赤と青の部分を入れ替えているような気がしてなりません。元は違っていたのではないか?
そこで、赤青の部分を差し替えたのが下です。
ab 現在(いま)を嘆いても 胸を 痛めても 心寒いだけさ
ba 夢のいた場所に 未練残しても ほんの夢の途中
どうでしょうか。 ab だと、「胸」と「心」の関係性が見えてきますし、ba だと、「夢」と「夢」ではっきり繋がってきます。歌詞の意図するメッセージも差し替えた方がストレートに伝わる気がするのです。
これは、私の単なる思い込みとして、誰にも言わずにいたことなのですが、もう時効かな?とも思うので書いてみました。当初は業界の内紛と思っていた『セーラー服と機関銃』と『夢の途中』の同時期発売が、そうではなく両者の合意と壮大なチャレンジであったと知ったあとに、この差し替え疑惑に気がつき、もしかしたら、内紛疑惑が大きくなった時に「合意」と「挑戦」だった証拠として、敢えてこういう形にしたのかな?とも考えました。(違うと思います。)
私の頼りない情報網には、この謎についての情報は入ってこなかったので、勝手な思い過ごしと封印したまま、30年以上になりました。でも、やはり気にはなっているので、もし、同じように考える人や、このことに詳しい人がいれば、ぜひ教えて欲しいです。
< 2021年9月6日 追記 >
コメント欄に、 ビビさんから情報をいただきました。
来生えつこによれば、レコーディングのギリギリまで歌詞を書き換えることは茶飯事で、この時はいつにも増して試行錯誤を重ねていたため、受け渡しの最中に手違いがあったとされる。
との記述が 来生たかお - Wikipedia にあるとのことで、さっそく確認しました。
まず
この2曲は一部歌詞に相違があるが、意図的なものではない。
とありました。ビビさんからの指摘と合わせると、同じ歌詞で発表しようとしたものが意図せずに違うものになったとも言えそうです。
一方で、
それぞれが「セーラー服と機関銃」「夢の途中」としてリリースする“競作シングル”というかたちで決着
との部分が、記事に書いた「両者の合意と壮大なチャレンジ」を肯定してくれているようで納得です。それにしても“競作シングル”とは良いネーミングです。ただ、“競作”の意味が、まったく同じ歌で競うのか、一部が違う似た歌で競うのか辺りは、微妙に思いました。
さらに、
ヒットの期待を込めた曲には“夢”というキーワードを入れる彼女(来生えつこ)としては、来生のデビュー曲「浅い夢」に絡めて拘りを持っていた“夢の途中”というフレーズが「セーラー服と機関銃」の歌詞から消えてしまったことは残念だったが薬師丸の澄んだ歌声を聴いた時は“いけるかも”と思ったという。
ここでは、どの時点で”残念”と“いけるかも”の決着がついたのかが気になるところ。レコーディングでは、幾つかの歌詞が試され、その中で、夢のいた場所に 未練残しても 心寒いだけさ でいけると判断されたのかも。もしかしたら、「現在(いま)を嘆いても 胸を 痛めても 心寒いだけさ 」や「 夢のいた場所に 未練残しても ほんの夢の途中」も試したかも、なんて勝手に想像しています。
以上のことから考えると、記事に書いた
> 「合意」と「挑戦」だった証拠として、敢えてこういう形
部分の「敢えて」は間違いで、「結果的に」とする方が正しそうです。
それでも、高校時代から気になっていた「夢のいた場所に 未練残しても」と「ほんの夢の途中」は、歌詞が正式に決定するまでは共通のイメージの中にあったとは言えそうでず。「当たらずとも遠からじ」かな?なんて思っています。
ビビさん、貴重な情報をありがとうございました。