tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

音楽10.『赤いスイトピー』(松田聖子)の再考察

松田聖子のデビューは、私の中学時代でした。友人に熱烈なファンがいて、よくカセットテープで歌を聞かされていましたが、それほど気に留めることもありませんでした。『青いサンゴ礁』などいくつかの歌は知っていましたし、アイドルとしての人気もありましたが、その人気は、友人を含め一部男子からの絶大なものという印象でした。

 

高校入学頃に「聖子ちゃんカット」の髪型が流行しました。男子だけではなく一部女子からも人気を集めてるのだなと思いましたが、他方で「ぶりっこ」とも言われたスタイルをどこか冷ややかに受け止めていて、アイドルだけれどスターじゃないという感じでした。当時の私には変なこだわりがあって、ファンの多さよりも老若男女すべからく人気を得られて本物のスターという感覚だったのです。

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それが、『赤いスイトピー』(1982年)で、松田聖子のイメージがひっくり返った感じでした。私にとって、彼女のターニングポイントの歌であり、スターだと認めざるを得なかった歌です。「聖子ちゃんカット」をやめたのもこの頃だったはず。見た目のイメージより、歌の中身で勝負しているような印象を受けました。曲調もバラードに変わりしっとりしていて、口ずさめる感じがいいのです。

 

飽くまで私個人のイメージでの話ですが、それまでの歌詞が、強い気持ちをストレートにぶつけていた感じだったのに対し、この歌は柔らかで優しい感じと言えばいいでしょうか。そんな変化を、漠然と感じていましたが、改めて歌詞をじっくり見てみました。

 

『 春色の汽車に乗って 海につれて行ってよ 

  煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから 』

冒頭の「春色の汽車」で、これまでの歌と違う気がしたのは、二人だけの世界を歌っていることが多いイメージだったからでしょう。バイクや車なら二人だけの世界ですが、汽車なら公の場というイメージ。

そして、「そっと寄り添う」というのも、これまでにないソフトな感じ。

 

ここで『赤いスイトピー』までの7曲の一部歌詞を簡単に振り返ってみます。

  1.裸足の季節

 『 手を振るあなた ・・・ 思い切りこたえる 』

2.青い珊瑚礁

『 あなたが好き! あゝ私の恋は南の風に乗って走るわ 』

3.風は秋色

『La La La……Oh, ミルキィ・スマイル あなたの腕の中で旅をする
 Oh, ミルキィ・スマイル抱きしめて やわらかなその愛で』

4.チェリーブラッサム

『 何もかもめざめてく 新しい私 』

5.夏の扉

髪を切った私に違う女みたいと・・・

 夏の扉を開けて 私をどこか連れていって

6.白いパラソル

あなたを知りたい 愛の予感

7.風立ちぬ

風立ちぬ 今は秋
今日から私は心の旅人』

 

 思うに、を中心にした歌(1.2.4.5.7)が多いのです。そしてあなたを求める強い思い(2,3,5,6)が滲み出ている気もします。また、新たな変化を強調する歌詞も多いです。

 

赤いスイートピー』にもこれまでの歌に似た歌詞は少なくないのですが、「よ」や「の」がついて、どこか控えめ。

「海に連れて行ってよ」と「私をどこか連れていって」(5)

「走ってゆきたいの」と「走り出す私」(1)、「走るわ」(2)

 

また、新たな変化に期待をかけるとは違う、日常の中での思いの吐露。

「知りあった日から半年過ぎても あなたって手も握らない」と

新しい私」(4)、「髪を切った私」(5)、「愛の予感」(6)、「今日から私は」(7)等。

 

こう見てみると、強気になれない私、日常の中での少しの願い等、それまでになかった控えめな女の子の願いが歌われているように思えるのです。

そして、聖子ちゃんカットの終了は、聖子ちゃんカットに踏み切れなかった女の子の側に、松田聖子が歩み寄ったという印象を与えているようにも思えます。

 

明るくて活発な女の子は、多くの人の憧れではあるでしょうが、実際にはそうなれないでいる女の子の方が多いと思います。そこに『赤いスイトピー』が届けられたように思えるのです。

 

ウィキペディアでは『赤いスイートピー』の説明の中に、『松田の楽曲の中で特に人気の高い曲の一つであり、松田自身も好きな曲として挙げる事が多い。また、この曲を境に同性(女性)のファンの比率が上がったと語っている。』と説明していますが、納得のいく話です。

 

 後年、この歌の作詞が「呉田軽穂」で、ユーミンペンネームであり、ユーミン自身が『「誰が作ったか知らなくても、曲調だけで聞き手の心をつかめたなら、これほど作家冥利に尽きる事はない。そして本当にその通りになったのでとても充実感のある仕事でした」、この曲で聖子と「同期した」』(ウィキペディアより)と語っていることを知りましたが、松田聖子やスタッフ、そしてユーミンの絶妙な協力があったからこそ、成功したのだと思います。

 

タイトルには「再考察」などと大袈裟に書いていますが、既に多くの人が知っていることでしょう。それを今になって、改めて確認したという感じですね。