tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

夏の部活と「水をくれぇ~。」、そして『はだしのゲン』と『あしたのジョー』

今週のお題「夏休み」。そう言えば、小学校時代や大学時代、働きだした以降で「夏休み」の印象的な記憶はいろいろあるのに、中・高時代の夏休みは印象が薄いです。

 

何故なんだろう?と考えて、一つの仮説を見つけました。高3を除けば、中高の5年間はサッカー部での練習が多がったからというものです。その思い出は夏休みの記憶ではなく、部活という括りの中にあった気がします。真夏の部活と考えれば、意外と記憶が蘇りました。もっとも、部活をしている期間は、自由に時間が使えないので、夏休みと言えない気もしますが、学校の夏休み中の部活ということで書いてみます。

 

 

夏休み入ってすぐの頃には大会がありましたから、きつい練習も多かったです。

 

夏休みが始まる頃は、暦でいえば二十四節気の「大暑」です。一年で一番暑いとされる時期。炎天下の練習では、すぐに身体が火照ってしまい、汗もだらだらと相当な勢いで流れます。ヘディングしたとき、ぬるっとボールが滑る感覚が額に残るほど。でも、まだ汗をかいてる内は、それなりに動けます。やがて、出た汗がどんどん乾くためか、汗があまり出なくなるのか、額に塩をぬりつけたように、ザラザラしてきます。それを拭うと、手に塩粒がついてきます。腕やにも潮が浮いてきます。Tシャツはの袖は肩までめくっていたので、肩もザラザラでした。色のついたシャツだと、汗の跡が白い塩となって残ります。なかなかの美しいグラデーションです。

 

当時、「練習中や試合中の水は控えるもの」という考えが主流で、水分補給の回数も、そこで飲める量も限られていました。しかも、練習の場所から蛇口まではちょっとした距離もあって、いつでもすぐ飲める環境にはありません。外トイレの水道の方が近く、それを使うこともあったように思います。

 

夏の大会でも、試合中はハーフタイムまで給水は無く、それも、飲み過ぎると身体が重くなって動けなくなるとかの理由で、コップ2杯くらいだったような・・・。でも、私はかなり、汗かきだったので、とにかく水が欲しくてたまりません。

 f:id:tn198403s:20190729230443p:plain

熱くなった体を冷やすのに、水道の水でを顔や口の中を洗ったり、頭からかぶったりもしてました。タオルを濡らして体を拭いたりもします。水道を使う際に、こっそり舐める程度に水分補給もしてましたが、それでも水への渇望は止まりません。

 

 

「水~、水~、水~・・・水をくれぇ~。」

あしたのジョー』で力石が壮絶な減量中に、水を求めてビル内をさまようものの、蛇口という蛇口はすべて、針金でぐるぐる巻きにされて使えず、発狂寸前まで追い込まれるシーンがあります。

 

それが蘇りました。私は幾らかの水分補給はできていたのですから、力石程の苦しさでもなかったはずですが、自分の甘さなのでしょうね。濡れタオルで体を冷やしながら、何とか他に水分補給できないかと、周りをチラチラ見ていました。でも、飲める水も、水が飲みたいと言う勇気もありません。

 

で、思いついたのが、濡れタオルの水を吸うことでした。でも、あからさまにタオルを高く上げて絞り、落ちてくる水滴を口を開けて待ち構えるなんて不恰好ですし、余分に水分を摂れば、監督に叱られる可能性もあります。そこで、濡れタオルを顔に当て、顔を冷やしているように見せかけて、吸っていたのです。汗をかいた身体を拭いているので、塩分補給にもなります。乾いた身体に足りる量は望めませんが、水を吸っている間は、水を口にできているという満足感はありました。時折、タオルの繊維が混じるのですが、気にする余裕はありませんでした。

 

その時、連想したのは『はだしのゲン』に描かれた、被爆後、水を求めてさ迷い歩いた人たちのこと。それと比べればどうということもないという感じでした。この発想は、水にありつけている自分を救われたと肯定したかったのかも知れません。また、「必要以上に水を飲んではいけない」ルールを破ったことに対して、死にそうに思えたという言い訳にしたかったのかも知れません。

 

飲んだのは数回だけだったと思いますが、タオル給水は夏になると思い出してしまう記憶の一つとなっています。

 

 

 当時は、猛暑日と言う言葉は無く、気温が35℃を超えることも滅多になかったです。そのことも幸いしたのか、ひどい日射病にはならずにすみました。熱中症という言葉もあまり聞きませんでした。それを考えると、今の暑さの異常さが際立つ気がします。

 

 

-------------------------------------------------

<余談というよりこちらがメイン?『はだしのゲン』と『あしたのジョー』>

 

ところでーー。今回の記事で生じた疑問があります。

タオルの水を吸いながら連想していた漫画『はだしのゲン』の酷いケロイドを負いながら水を求めて歩く人たちの姿ーー、これは記事を書き進めている途中で、不意に思い出したことです。『あしたのジョー』の記憶は記事を書く前からあったのに、『はだしのゲン』は、記事を書くまですっかり忘れていました。記憶に残る、残らないや、思い出せる、思い出せないの違いはどこに起因するのでしょう。軽く衝撃を受けました。

 

私の人生のいつどこで、喉が渇いたときのイメージが差し替わったのかと気になりました。マスコミなどの影響もありそうです。『はだしのゲン』より『あしたのジョー』の名前を聞くことの方が多いように思うからです。「真っ白な灰」、「立て、立て、立つんだジョー」等の台詞や、ハイジャック事件で犯人の声明に「われわれは明日のジョーである」が使われたこと等、未だに語られることがあります。一方で『はだしのゲン』で思い出したのは、数年前に幾つかの学校図書館の本棚から姿を消したことや、それに関するニュースです。調べてみると発端は2012年8月で、その後ニュースでも話題になり、賛否両論ありつつ、結果的には多くの学校で貸出禁止の解除に至ったようです。

 

軽く衝撃を受けたのは、高校時代は、『はだしのゲン』と『あしたのジョー』は二作品とも、すぐ頭にイメージできる身近な作品であったのに、今は、そうではなくなっているということです。人の記憶は忘れ薄れていく定めなのかも知れませんが、忘れたくないこと、忘れてもいいことが、自分以外の思惑で選別させられているような、嫌な感じがしたのです。記憶に留め続ける難しさ、語り継ぐ大切さに改めて気づいた気もします。

 

はだしのゲン』の貸出禁止要請が出された時、それに反対する声も大きくなりました。同時に「事の善悪はともかく、これを議論できるというのは平和ということ」という意見も見受けました。今、「果たして本当に平和だったのだろうか?」と思う自分がいます。あの時、平和の壁は決壊しかけていたのではないか?そして、今は、どうなっているのだろう?そんな疑問も生じています。

 

はだしのゲン』にくっついて思い出したことは、他にも幾つかあります。無意識に、高校時代にイメージしていたことと、53歳の今イメージすることとが違っているというのは、思いの外たくさんあるようです。それはまた別の機会を見つけて書きたいと思っています。

-------------------------------------------------