tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn11.お金のこんな感じの漢数字、憶えていますか

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7月11日、「令和」の元号が入った貨幣の打ち初め式が大阪市造幣局で行われたそうです。4月に話題になった新貨幣に切り替わるのはまだ先の話で、デザインは今までと同じ。これから先、希少価値が出るのは平成31年の500円玉か、令和元年の500円玉か。ほぼ半年ずつですから、発行枚数はどちらが多くなるのでしょうね。

 

500円硬貨が初めて発行されたのは1982年4月1日。とはいえ、当時高校2年になったばかりの少年にすぐ手に入るはずもなく、初めて手にしたのはしばらく後。当時は物珍しさもあって、500円玉の関心も高く初めて手にした友人に見せてもらったように思います。

 

500円硬貨は、その大きさにもインパクトがありましたが、縁の刻印「◆ NIPPON ◆ 500 ◆」や、500の数字の表面のギザギザなど斬新なアイデアで作られた感が満載でした。ただ、それまで紙幣だった500円の硬貨にどうにも馴染みにくかったのか「ゲームのコイン」みたいとも言われていました。

 

500円玉は時と共にたくさん出回ることは予想できたので、発効以前から500円札を残すようにしていました。イラストは500円札の表(日本銀行券と書かれている方)の右下隅あたりにある五百の漢数字を模したものです。わかった人はいるでしょうか?

 

高校生にとって、500円はちょっとした金額です。学食などで1食分になりましたから。それでも、30枚くらいは集めました。20枚たまった時に、白い紙で帯をしたのも憶えています。その後、何年かはそっと引きだしに仕舞っておきました。あまり500円札を見かけなくなった頃に、不意に使ってみせる楽しみにとっておきました。

 

5年ほどたった頃、こっそり財布に忍ばせて置いて、出番を待ちました。その幾つかは記憶に残っています。

友人らとのじゃんけんに負け、私がまとめて缶ジュースを買いに行くことになった時、100円玉が無いという友人に、「お釣りならあるよ。」と1000円札を出してもらって、そのお釣りに500円札を使ったのです。「え?」という硬直のあと、「おもちゃのお金かと思った」とびっくりしてました。

露天の店で、500円のアクセサリーを買った時にも使ったことがあります。500円札だったので「おつりはいりません。」と差し出すと、「え?いいの?」と受け取りかけて手が止まり、「偽札・・・じゃないね、懐かしい~。」との反応。「これ使えるの?」とか「どう使おうか」とかの話になりました。「ノリの良さそうなお客さんにおつりで使うのもおもしろいかも?」と提案してその場を去りました。

1000円札を両替してあげるときに、100円玉5枚とセットで使ったこともあります。

 

でも、どちらかというと、500円札は歓迎されないことの方が多かったような。お札のイメージないところに出されると困惑してしまうようです。私の使い方というか使うタイミングも下手だったのでしょうね。加えて、けっこう皺も入っているので、それほどの希少価値は無く、残念感が漂っていたのかも。

 

 お金に関しての縁起担ぎは、ちょこちょこやっています。

tn1.受験直前の年末年始」で書いたのは、大学入試直前の初詣で500円玉のお賽銭。一番大きな効果(硬貨)がありますようにという願掛け。今でも、大事なお願いの時にやっています。

旧の5円玉(「五円」の文字が筆書き字体のもの)をもう何十年と財布に入れて遣わずに持っています。これは(お金に)ずっと良い御縁がありますようにという願掛け。

縁がギザギザになっている10円玉も残して集めるようにしています。(人生に)傷がついてもお金と遠縁(十円)にならない様に。「ギザ十」と略されることが多いですが、さすがに見かけることはずいぶん減りました。

 

 効果のほどは不確かですが、おかげでお金をよく見る癖はついたと思います。もっとも、スマホ決済など時代は大きくキャッシュレスに向かい始めました。私も現金を使わずに支払いをすることが増えています。お金を手にする機会、数える機会が減ることは、便利なような、どこか寂しいような、ちょっと怖いような、そんな複雑な思いです。