tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

授業9.省エネルックには覚悟が必要だった

今は、「クールビズ」がじわりと普及している感じですが、高校時代には政府主導で「省エネルック」なる取り組みがありました。環境対策で冷房を抑えるための涼しい服を広めたい等、二つの取り組みには、根本のコンセプトに大きな差は無かったように思います。しかし、「省エネルック」は大平総理大臣自ら、半袖スーツや半袖開襟のワイシャツを着込んでアピールしたにも関わらず、全然定着しませんでした。

 

省エネルックの中でも代表的な半袖スーツは、基本的に日本よりも暑い東南アジアの服装からデザインされたらしいです。当時は、まだアメリカやヨーロッパに追いつき追い越せを目標にしていた日本ですから、東南アジアのファッションはかなり受け入れづらかったのかも知れません。あるスーツメーカーの話では、「(省エネスーツは)5着しか売れなかった」そうです。日本全国で5着ではないでしょうが、お世辞にも人気があったとは言えず、街で見かけることもまずありませんでした。

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同時期、「省エネ」も多少は話題に上っていました。ガソリンスタンドの土日休業等もこの頃ではなかったでしょうか。また、冷房は28℃、暖房は18℃を目安にしようという話もあったと思います。ニュースで聞いて、家のクーラーを28℃設定していたこともありますが、結構暑かったです。もっとも、当時は学校にクーラーなんてなかったですから、一番暑い時間帯でも28℃設定とは無縁。それでも、ニュースやお試しの経験から、省エネルックと省エネを併用して、涼やかに夏をやり抜くには、それなりの覚悟がいるだろうなとは思いました。

 

そんな感じで、省エネルックも、省エネも、あまり身近な話ではなかったです。

 

ところが。かなりの覚悟をした人がいました。

社会科(恐らく、政治・経済)の先生が、省エネルック姿でやってきたのです。ただし、驚いたのは、省エネルック以上に、先生の顔がやたら赤くなっていたように思えたこと。普段なら、あまり感情を表に出さない先生という印象なのですが、その時は省エネルックだったにもかかわらず、熱かったです。

 

「君たちも省エネルックという名前くらいは、聞いたことはあるだろう。」「社会科の教員として、省エネルックを見せようと思ったのだ。」「省エネルックが社会に定着するかどうかはわからないが、どちらにせよ、省エネルックはこういう物だったということを憶えていてくれたら本望だ。」「恥ずかしくないわけではないが、手に入れた以上、着ない方がもっと恥ずかしい。」「時代の先端を行くのには、それなりの覚悟も必要なのだ。」等々。

 

すみません、先生の話の半分以上は、私の創作かも知れません。とにかく、いつになく先生が雄弁だったのは記憶に残っています。そして、私ほどファッションに疎い者はそういないという自負があるにもかかわらず、「省エネルックは変。」との印象が強烈に残ったのです。

 

強いて例えるなら、初めてジャングルを探検する学者?開拓者の雰囲気は多少あるものの、何もかもが初めてだらけで、ウキウキとオドオドが絶妙に配分されたファッション…。そんな感じ。これからジャングルを探検しようというのに、中途半端な暑さ対策と、頼り無さ気な身体防御が同居してるとも言えそうです。その姿は、時代の先を指し示そうとする教師たるべく志と、できるなら恥はかきたくないという一市民としての保身が混ざってるのようにも感じました。

 

でもね。その姿は、その先生の一番印象に残っている姿でもあります。一生懸命、言い訳しようとしてはいるものの、また恥ずかしがっていそうではあるものの、根っこの部分で間違った授業はしていないという思いは感じられたのです。残念ながら、この先生については、他のことでの記憶はあまりないのですが、強く印象に残る授業?をしてくれたことには敬意を表したいです。

 

この先、巷にどれだけカッコイイ「クールビズ」が定着しようとも、雰囲気や流れに乗ってそれを受け入れる人よりは、とても定着しそうになかった省エネルックを、覚悟して身にまとった先生の方がずっと恰好良いと、私は思っています。