tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

映画6.『駅 STATION』(降旗 康男監督)

降旗 康男監督の訃報を知りました。84歳とのことです。お悔やみ申し上げます。

 

高校時代、監督の作品『駅 STATION』を観ました。映画館ではなく、母校の予餞会でした。近くのホールを借りての上映だったと思います。まだ17歳の少年にとって、この作品は正直わかりにくかった部分もありました。私の中では、以前「映画3.アカデミー賞受賞作品」で書いた『普通の人々』のように「評価する人にはわかる作品の良さが自分にわからないという悔しさ」も少し感じた作品でした。日本アカデミー賞を受賞していたことが、よりその悔しさを大きくさせていたように思います。

駅 STATION ロゴ

それでも、高倉健倍賞千恵子のやりとりは、強く印象に残っています。船の欠航で仕方なく入った居酒屋で、客と女将として出会った二人。初めて同士なのに、お互いにどこか慣れ親しんだ夫婦のような話しぶりや寄り添い方。八代亜紀の名曲「舟歌」をしんみりと聞ける間合い。これが大人の男と女なんだなあ、なんて思ったものです。

 

後に、旅先で一人居酒屋を訪れた時に、あんな居酒屋だったらいいなぁと期待しながら入り口を開けて入ったこともあります。さすがに、期待通りになったことはありませんが、しんみりと話ができたことくらいはあります。その辺は「授業4.旅は一人旅に限る。」でも少し触れています。え?映画には遠く及ばないやりとりでしたかね。まぁ、私自身、高倉健に遠く及ばないのですから、さもありなん、でしょう。

 

ところで、もう一つこの映画で記憶に残っているのが、男女の営みの後のシーン。倍賞千恵子から「私、声大きかったでしょ。」みたいに聞かれた高倉健が、一度は否定しつつも、ぼそっと「樺太まで聞こえるかと思ったぜ。」と呟きます。

その時、会場の一部で「あはは!」と笑い声が起きました。それは、いろんな意味でちょっとした驚きでした。まだまだ青かった私です。このジョークに「くすっ」という感じはあったものの、「え?そんなにおかしい場面なの?」と、まず、自分の反応に出遅れた感を持ちました。次に「いやいや、そこは笑い過ぎじゃないの?」と思い直したり「通常の映画館なら大きな笑いが起きるところなのかな?」と再度自分の反応を疑ったりして、「う~~ん」といろいろ考え込んでしまったのです。

 

結論から言えば、そのとき感じた「?」は、後に「映画は観る人の数だけ観方があっていい。」という考えに落ち着きました。そうなった大きなきっかけは『スターウォーズ』のアメリカの上映館の話を雑誌で知ったこと。アメリカでは、上映中に大勢の観客が立ち上がり、声援を送ることなどは当たり前だというのです。逆に、日本ではどうして、あの映画で静かに座って観られるのか不思議だというような話もあったと思います。日本とアメリカ、どちらが正しい映画の観方なのか、またどちらが映画を楽しんでいるのかを結論付けることが難しいように、「くすっ」と「あはは」のどちらがいいのかも決められないだろうと思うようになりました。

 

実際、その後も、映画館で他の観客と自分の反応にズレが生じたことは幾度かあります。もっと言うと、反応のズレは、自分自身にも起きることが珍しくありません。「映画は観る人の数だけ、そして、観る機会の数だけ違う観方があっていい。」と思うようになりました。

 

そんな訳で、降旗 康男監督の『駅 STATION』は、私にとって映画の観方の多様性を教えてくれた作品にもなっているのです。