tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

音楽6.『ふるさと』(松山千春)

私の世代であれば、松山千春で真っ先に思いつく歌は『長い夜』とする人が多いのではないでしょうか。高校時代、ものまねをしながら熱唱する人もいました。かなり受けていたように思います。次に『季節の中で』、『恋』と続くところでしょうか。もちろん、それらの歌もよく聞きましたが、私の場合、『ふるさと』が一番思い入れのある歌になります。

 

長い歌詞で、笑いを誘う部分もありつつ、風景と心情を込めている点でもお気に入りなのですが、特に喫茶店での風景に共感しました。

 

「喫茶店でほほづえついて 誰か待つよなふりをして」

勝手な思い込みなのでしょうが、この感じとてもわかる気がしたのです。高校時代、一人で喫茶店に入ることは結構多かったです。特に、クラブ活動の無かった定期試験の前や試験中には、よく行ってました。店からすれば、あんまり長居をするのは歓迎されないところでしょうが、コーヒー一杯で、何となく1時間、2時間過ごすことも。漫画・雑誌・新聞を読んだり、ゲームで遊んだり、時には、勉強や持ち込みで読書も。でも、それらの理由はむしろ建て前的で、暇つぶしと言えば暇つぶし。家でも学校でもない所への逃避と言えば逃避。誰に干渉されることもなく居られる時間・空間が欲しかったという感じです。

 

「いなか者とは悟られぬよう 3杯目のコーヒー頼んだ」

f:id:tn198403s:20201101004410p:plain

3杯目のコーヒー

そう、2時間くらい経った頃、3杯目ではなく、2杯目のコーヒーを頼むこともありました。まぁ、いなかの店であれば席も空いているし、そんなに気にすることは無いかも知れませんが、やんわりとした自分のルール的にそう思っていたのは、この歌詞の影響。 たまに店にある麻雀のゲームでクレジットがたまり、コーヒー一杯が無料になることもありました。

 

高校時代、この歌はそんな呑気な捉え方でしかなかったです。

 

それが卒業後、都会で時間つぶしに喫茶店に入った時、この歌詞は本領を発揮しました。いなかの喫茶店と違って、コーヒーは高値で、席も狭く、人の流れは速い。とてもゆっくりくつろいではいられない感覚になります。長居するにはちょっとした図々しさも必要になります。2杯目のコーヒーを頼む気にもなれませんでしたが、歌詞では、3杯目を頼んでいます。これは、かなりの決意が必要だろうなと思いました。そして「いなか者とは悟られぬよう」とは、慣れぬ都会で精一杯の肩肘を張ってる姿であって、既に都会慣れしているという証では無いと気づいたのです。こんなにせわしい喫茶店の他に行くところがない孤独と闘っている様子を表現しているんだなと。

 

実家を出て一人暮らしを始めてからは、この歌の後半部分がじんわりと沁みるようになりました。と言っても、いなか暮らしでのことなので、何となくわかるという程度でした。

 

今は実家で過ごした時間より、実家以外で暮らした時間の方が長く、「ふるさと」の意味合いも違ってきている気がします。「ふるさと」とは、生まれ育った場所なのか、住み慣れた場所なのか、或いは心の拠り所になる人が多くいる場所なのか。「ふるさと」が二つ三つあると言うのもありだとは思います。そんなことも思いつつ、私の「ふるさと」はどこなのだろう?と、ふと考えてしまうことがあるのです。