tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

遊び5. 変わったスプーン達

『変わったスプーン達』は、ショートショート(短編小説)を書いていた頃、「変わったスプーン」シリーズの総集編として、書いたものです。(「 遊び3.ショート・ショート(短編小説)」参照) 

書き始めの頃は、それほど深く展開を考えておらず、クラスメイトの名を借りて同音異字の登場人物を使おうとか、幾つかの場所・地名をピックアップして書いてみようとか、これまでに書いた変わったスプーンを活かせるようにしようとか、かなり漠然としていました。

 

 ところが、いざ書き始めてみると、書く時間より、考える時間や資料に目を通す時間の方が長かったように思います。インターネットなどない時代でしたから、家に百科事典やいろんな地図があったのは、幸運でした。本屋で旅行のガイドブックをいろいろ見たことも憶えています。

 

大まかなストーリーは、「変わったスプーンを秘密の場所まで運ぶ」というもの。その途中、あちこちで遭遇する、ある組織からの妨害を切り抜けていく展開です。

 

物語としての出来はともかく、原稿用紙100枚程のお話を書けたことは良い経験になりました。日記や読書感想文等であれば、経験や読んだ文章から書きたいことを選び、中身を絞っていく感じで書くことになりがちですが、お話の創作は、書いてみようと決めたことを、どれだけ上手く広げつつ繋げられるかが勝負という感じでした。

 

例えば、ある場所を取り上げるにしても、地名だけでは、全然イメージが広がりません。そこで、その地名を百科事典で調べたり、地図を見たりすると、少しずつイメージができてきます。その場所の写真や街並みがわかる地図をもとに、道路の幅はどのくらいか、通りには民家が多いか、店が多いか、車の交通は多いか、多いなら使うのは歩道橋か横断歩道か、そんなことを考えている内に、行ったことのない場所でも、自分勝手なイメージを持つことができます。場所のイメージができてくると、そこに登場人物をどう置くか、どう行動させるかが決まってきます。イメージが鮮明になるほどに、動かしやすくなります。さらに、登場人物の行動力や思考の仕方を考えていくと、時折に、登場人物はこう動くしかないはず、と思えてくることがあります。その瞬間は、次々に文章が浮かんできて、文章を書くのが楽しくてたまらないという感じになりました。

 

振り返ると、その感覚を得られたのが一番の収穫だったと思います。誰だったか、作家が「文章が天から舞い降りてくる」と話すのを聞いたことがありますが、わかる気がしました。ただし、断言できます。「舞い降りてくる文章が、独りよがりなものであることは、多い。」いい気になって書き進めた後で、いい気のまま読み直してみると、全然良い文章に思えないなんてことはよくありました。さっきまであれほど書き進める先が輝いて見えていたのに、その光は呆気なく消え去り、色褪せ、枯れ果てた別世界に迷い込んだ気になるのです。

 

それは、このブログの文章も同じ。どんどん書き進んでいい気になっていても、次の瞬間に、とても恥ずかしくて公開する気になれない文章に思えることは多いです。高校時代に比べて、一つの思いつきから広げられる話は増えたかも知れませんが、やっぱり、これじゃあダメだと、がっかりすることも増えたように思います。

 

それが良いのか悪いのか、また、残った文章が意図の伝わるものになっているのか、自信は今もありません。でも、原稿用紙に換算して、100枚を超えるお話を書いた遊びのおかげで、長い文章もそれほど苦にならずに書けているようには思います。まぁ、長ければいいって訳ではないのは承知の上ですけどね。

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変わったスプーン達 外観