tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

音楽3.帰り道の『悪女』(中島みゆき)と月

一人自転車をこぎながらの帰り道、歌や映画音楽、映画の一場面を口ずさむことはよくありました。普段は、部活仲間と帰ることが多かったのですが、本屋に寄るなどした時、一人で夜道を帰ることは珍しくありませんでした。

 

冬であれば、日も早く沈むため、帰りはもう夜です。でも満月の前後は、影が地面に映るくらい明るくなります。寒かったですが、ちょっと幻想的なその景色を、サイクリング感覚で遠回りをしながら、楽しむこともありました。そんな時に、決まって歌ってたのが中島みゆきの『悪女』でした。

 

でも、 歌は好きでしたが、当時はまだ、歌詞の意味が十分にはつかめてなかったです。夜通し遊ぶことも、夜明けの電車を待って帰る経験もなかったので、無理からぬことではありました。

 

ただ、「悪女になるなら 月夜はおよしよ 素直になり過ぎる」の部分は、とても気になってました。納得できそうでありながら、何故、月夜では駄目なのか。もしそうだとすれば、悪女になるのは新月限定なのかーー。明確な答えは出せないまま、自転車を進めつつ、時折月を見上げては、そんなことを考えてました。そうして、いつだったか、こんな考えに行き当たりました。 

 

私だけかも知れませんが、明るい月を見ると、ついつい語りかけてしまいそうになる程に見つめてしまいます。星でもそんな風になることはあるのですが、星だと見つめられてる感じが弱いのです。でも月は、お互いに見合っているように感じることがあります。ですから、星に対してだと独り言でそのまま流してくれそうなところを、月相手だと「何故、そんな風に思うの?」と問い返されそうな気がしてくるのです。

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夜明け前の月

 多くの人が「月が追いかけてくる」という錯覚を感じているようなのに、「星が追いかけてくる」という話はあまり聞きません。それは、月には自分が見られてるような、さらに本心まで見抜かれてるように思えてくるからではないでしょうか。だから、月には嘘が言えず、「素直になり過ぎる」のではーー。

 

月のない星空であれば、嘘や言い訳を吐き捨ててしまえるが、月があると真意を問われて、本音が出てしまう。つまり、悪女になりたいわけではないが、一人が寂しすぎるから、せめて悪女のふりをしていたいという歌なのではないか。

そしておそらく、この歌の主人公は、悪女のふりを貫けるだろう新月には、悪女になりきってしまえば自分を見失う怖さがある故、出かけなかったのではないかとも思います。月夜では悪女になれない、悪女になってしまいたいとこぼしつつ、悪女になれるはずの新月には出かけられない、そんな葛藤を歌にした気がするのです。

 

もちろん、これは高校時代に行きついた考えではなく、もっと後でたどり着いた考えです。でも、高校時代に一人、月を見上げて考えた経験がなかったら、こんな考えに至ることはなかったろうな、と思います。