tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

音楽28.今だからこそ『秋桜』(山口百恵)をもう一度

結婚の話で世が揺れた今だからこそ、『秋桜』(山口百恵)は、もう一度噛みしめたい歌です。冬迫る秋の日、陽溜まりに揺れる秋桜の花を通して、嫁ぐ前の娘と母の揺れ動く心情を描いています。

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陽溜まりに揺れるコスモス

秋と小春日和

1977年10月1日にリリースされた山口百恵の『秋桜』(コスモス)。私はこの歌で「小春日和」という言葉を知りました。

こんな小春日和の穏やかな日は

の歌詞をしばらく気にせずにいましたが、高校時代になって意味を知りました。

 

小春日和こはるびより):晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天。

( 気象庁|予報用語 季節現象 より)

 

冬の訪れを感じながら、小さな春を思わせる日。季語としては冬にあたるそうです。この呼び名を思いついた人はどんな人なのでしょう。時空を飛び越えて季節を表現できる発想に驚いてしまいます。

 

 

秋桜』を作詞作曲したさだまさしは、当初『小春日和』のタイトルを考えていましたが、プロデューサーの提案で『秋桜』となります。それでも、さだまさしは「あきざくら」としたかったそうですが、「コスモス」という名が定着したとのこと。

( 秋桜 (山口百恵の曲) - Wikipedia より)

さだまさしの思いとは違えど、「秋桜」と書いて「コスモス」と読む。これもまた、この歌の影響でしょう。

 

何にせよ、「秋」と「小春日和」を繋げてくれたのはこの歌でした。おかげで、以降、「小春日和」がクイズ番組等で取り上げられる度、自信満々で「晩秋、初冬の頃」と答えられています。

 

秋桜』(山口百恵)の歌詞と母娘

閑話休題。『秋桜』です。ウィキペディアにも紹介されていますが、

(『秋桜』の歌について)さだが電話で「(結婚をテーマにした作品であるため)まだピンと来ないでしょう?」と尋ねたが、そのとき当時18歳だった山口は「はい」と正直に答えている。しかしその後、結婚を期に引退するラスト・コンサートの日(1980年10月5日)に「この歌の意味がようやく分かりました」というメッセージをさだに送っている。

という逸話が好きです。私もこの歌をある程度理解できるまでに長い時間がかかった気がします。私が嫁に行くことはついぞないままですが、娘を送り出す母の思いを少し垣間見た気がするのです。

 

特にこの歌詞。

明日嫁ぐ私に苦労はしても

笑い話に時が変えるよ

心配いらないと笑った

歌では、母が娘に伝えている言葉のようですが、その前に「独言みたいに小さな声で」の歌詞があるだけに胸に刺さります。「心配いらない」とは、娘に言いながら、母が自分に言い聞かせているのだと思えてなりません。

 

折しも、小室圭さん・眞子さんの結婚、渡米が話題になった昨今、私たちが知る由もない眞子さんの家族の大切な時間を振り返ることができていたらいいなと思います。婚姻をめぐって皇室の親子の意見が対立しているとか、相手が皇室にふさわしいかどうかとか、渡米後の生活が心配だとか、そんな話ばかりが拡大されてしまいました。

 

純粋に親と子が暮らした時間がそんな話で消されてしまうはずがないと思いたいのです。たとえ後に二人が帰国しても、しなくても、こんなことで一つの家族の縁が切れてしまうとは思いたくありません。お互いにこの歌のような気持ちがあったと思いたいです。

 

少なくない人々がゴシップネタを追うあまり、娘と母や家族の願いをお互いが受け止めた事実に配慮なく、非難の声が起きたことはとても残念です。ゴシップネタが氾濫する中、娘がどんなに苦しい思いをして海を渡ることになったか、また家族がどんな思いでそれを見送らざるを得なかったか考えると心が痛みます。婚姻届けを出した後の会見でも噂の真相を問う質問が相次いだことは、いろんな思いを乗り越えて一つの結論を出した当の二人と家族に対して、礼を逸していたと思わざるを得ません。

 

秋桜』の歌詞の終わりに、娘の思いが描かれています。

ありがとうの言葉をかみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子供で
いさせてください

この思いは多くの人に共通していると思うのです。

結婚しても、渡米しても、皇室を離れても、家族の絆は紛う方なく続いて欲しい、切にそう願います。

 

日本もニューヨークも一段と寒さが厳しくなってくる頃です。

そんな中でも、小春日和のような穏やかな日を一日でも多く過ごせますように。

 

 

今週のお題「秋の歌」

 

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<余談 コスモスとレンゲ>

記事で取り上げながら変な話ですが、私はコスモスの花があまり好きになれずにいます。特に、稲刈りを終えた休耕田に鑑賞、観光用として植えられているのを見ると、きれいだと思う一方で一抹の寂しさを感じてしまうのです。

 

それは、春先のレンゲ(ゲンゲ)畑を奪われた感があるからです。小学校低学年(1970年前半)だった頃、暖かみの増した日差しの下、下校中にみんなでレンゲ畑で転げまわった記憶があります。当時の田植えは5~6月。レンゲは田植え前の田の肥料や家畜の飼料として使われていた時代です。

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レンゲ畑

ピンク色の小さな花。茎の高さは手の拳二つ分ほど。ぶちぶちちぎって、蜜を吸ったり、冠や首輪をつくる女の子にあげたり。あるいはゴロゴロ寝転がったり、相撲を取ったり。田んぼの湿った土に寝転べば冷たかったけれど、レンゲの絨毯の上なら大丈夫でした。

 

服にレンゲの汁や田んぼの土、匂いをたっぷり染みこませていることにも気づかず、十分に楽しんで満面の笑顔で帰宅して、母に呆れ顔で叱られた記憶もあります。

 

濃さの違いはあれど、同じピンク色。でも子どもの足で跨げないコスモスの高さは、近寄りがたく、どこか拒絶されている感じがしてしまうのです。他人様の田に勝手に入ること自体、いけないことなのでしょう。でも、母方の実家では、田んぼを耕すことになるから入って遊ぶのはOKだったような記憶もあります。

 

もちろん、レンゲがコスモスに取って代わられた訳ではなく、田植えや稲刈りの時期が早まり、休耕田の時期がずれたからそうなったと理解はしています。でも、コスモス畑を見る度、楽しかったレンゲ畑を思い出し、複雑な気持ちになってしまうのです。

 

秋と春の繋がりはこんなところにも影響していたと、気づいたのは働き出してからのことです。皆さんの周りでレンゲ畑を見ることはありますか?

音楽27.唱歌『もみじ』のある場所

先日「赤いもの」のお題で取り上げた『赤とんぼ』も秋の歌でした。

今回、取り上げる唱歌『もみじ』は、まさに「秋の歌」にぴったりです。この歌も著作権は切れているので全歌詞を紹介します。

 

『もみじ』

作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一

 

1.秋の夕日に 照る山紅葉(もみじ)

  濃いも薄いも 数ある中に

  松をいろどる 楓や蔦は

  山のふもとの 裾模様

 

2.渓(たに)の流れに 散り浮く紅葉

  波に揺られて 離れて寄って

  赤や黄色の 色さまざまに

  水の上にも 織る錦

 

以下、私の思うこの歌の魅力を述べます。

※ 尚、歌詞の意味を考えたのは高校時代よりずっと後のことです。

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『もみじ』の歌の情景 想像図(下手でペコン)

 

起承転結

自然の情景自体は動かないはずですが、視点の移動が情景に動きを着けてくれます。

1.夕空に、遠くから眺めて山の紅葉に気づきます。

2.色づきを細かに見ます。

3.山に残る緑(松)も紅葉に覆われています。

4.山の上は紅葉に、麓は緑と紅葉が混じった、山の全体像が見えます。

 

続く2番では、紅葉狩りに訪れたのでしょうか、山の谷の情景が描かれます。

5.谷川に散った紅葉が流れているのを遠くから見ています。

6.谷川に下り、川の波に揺れる紅葉に気づきます。

7.それは赤や黄色と色とりどり。

8.今ここで、川下へと続く錦が織られているのだと、自然の営みに感動します。

 

私の勝手な解釈ですが、一つの情景を眺め、それを細かく見て、もう一度全体を見直して、何かに気づき直す。1番にも2番にも、起承転結のストーリーがあります。

 

距離感

1番は、多分、一つの場所から見ている歌だと思います。でも視点が変わるだけで、距離感が違ってくる感じです。歌が発表されたのは1911年(明治44年)とのことですが( もみじ (曲) - Wikipedia より)、望遠鏡やドローンを使って見ているような感覚。

 

2番は、見つけた渓谷に入り、川の間近で見て、流れる先を目で追っている感じ。近づいた、遠くを見た、そんな言葉に頼らず距離や移動を感じ取れる表現。圧倒的です。

 

ドラマ性

1番の「裾模様」が2番の「織る錦」に見事に繋がっています。遠くから裾模様に見えたのは、絶え間ない自然の営みが錦を織っていたからと種明かしされているよう。

 

無粋な話をすれば、もちろん、川の流れで山の裾模様ができているわけではないです。そうではなく、総体として秋の深まりが、裾模様を作り、錦を織っているというドラマに感じられます。

 

音楽性

『もみじ』は輪唱や二部合唱でも有名です。変化に富む楽曲は、歌詞を借りれば「音の錦」と言えそうです。

 

小学校の音楽祭だったかで歌うパートが変わる場所、しかも中央寄りに配置され、音楽音痴な私はかなり苦労した記憶があります。まだ自分の音痴に気づいてない頃で、どんなパートで歌っているかも気にせず、とにかく大きな声で歌うことを大事にしていました。すると、歌の合間に周囲からは音がずれていると非難が集中。でも、先生からはその声の大きさが良いのですと言われました。

 

声の大きさは良いとしても、音のズレはよくわからず直しようもなく、直ったかどうかもがわかりません。結局、私の声がかき消されるくらいの音量になって、先生は納得したように憶えています。先生は、私の歌唱力を過大評価したのか、上手く利用したのか、本番の記憶はありません。でも、輪唱と二部合唱ができる歌として強く残っています。

 

紅葉を見る機会、触れる機会

大人になってから、紅葉を見に出かける機会は間違いなく増えました。なのに、紅葉で思い出すのは子どもの頃のことが多いです。何故でしょう。そんな風に思うのは私だけでしょうか。

 

遠くまで出向いて見た紅葉の景色は確かに奇麗なことも多いのです。でも、前に観た景色より奇麗かどうかとか、もう少し日差しがどうとか、周りの人出がとか、気になることも多く、紅葉を見に来たのではなく、比べに来たのかと自戒することがあります。

 

一方で、紅葉を見るつもりはなくても、日常で山を走り回ったり、いちょう並木の下を歩いたりして否が応でも紅葉が目に入った子どもの頃。

 

遠目にきれいに見えた落ち葉に近づいてみるとシミや汚れ、虫が目についたこと、拾おうとしたきれいな葉が露に濡れて冷たかったこと、踏むとかさかさと耳にこそばゆかったこと、歩いていて積み重なった落ち葉に滑りそうになったこと、そうした記憶と一緒に思い出されるのは子どもの自分です。

 

唱歌『もみじ』のある場所

『もみじ』は、そんな子どもの頃と、大人になってからとの中間点に、ずっといてくれます。それは、子どもの頃に知ったこの歌に描かれている紅葉の美しさを大人になって求めているからかも知れません。

 

 

今週のお題「秋の歌」

LSSさんの青い○と赤いバッテンを使って遊ぶ

LSSさんの面白ネタ

このブログでも、度々お世話になっているLSSさんのブログに、またまた面白そうな記事がありました。

 

little-strange.hatenablog.com

 

カーソルを文字に載せるとまたは×が表示されるというのものです。

コードをそっくり引用させてもらいました。(TTTとLLLに挟まれた部分)

 

TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTT

さて、ここで問題です!

2021年11月7日、「はてなブログ」は何周年を迎えたでしょうか?

 

1周年 10周年 100周年

 

↑正解だと思うものにマウスカーソルをのせてみてくださいね。

スマホの方はタップ)

LLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLL

 

「こんな面白そうな技を使わないという手はないやろ。」

そんな感じで、遊んでみました。

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青い○と赤い×

 

 

第一章 数字の問題

<問題1-1>

下の数字列の中に青丸()がつく数字はいくつあるでしょう?

※ マウスカーソルを数字にのせると×マークが表示されます。

 

     

 

答え 4個 (ボカシ部分にカーソルを当てると鮮明になります)

 

<問題1-2>

<問題1-1>でがついた数字を合計するといくらになるでしょう。下の6つ から正解を選んでください。(カーソルを当てると正解がわかります)

 

 10 11 12 13 14 15

 

<問題1-3>

<問題1-2>の数字列で×がついた数字を合計するといくらでしょう。下の6つ から正解を選んでください。

 

 61 62 63 64 65 66

 

 

第二章 その文字、○か×か

<問題2-1>

下の文字にカーソルをのせると×が表示されます。どんなルールでしょう。

 

 

 

 

 

 

では、下の文字の内、がつくのはどれでしょう。

 

  ち   ぴ   そ   け   し 

 

がついた文字は、通常、一筆書きできる文字 でした。

(※ カーソルを当てるとボカシが消えます)

 

<問題2-2>

下の文字にカーソルをのせると×が表示されます。どんなルールでしょう。

 

 

 

 

 

では、下の文字の内、がつくのはどれでしょう。

 

  ぎ   さ   ぬ   け   れ 

 

○がついた文字は、工夫すれば一筆書きできる文字でした。

(※ カーソルを当てるとボカシが消えます)

ただし、フォント設定によって、このルールは成立しなくなります。

 

<「さ」と「れ」の一筆書きを見たい方は、ここをクリック>

まぁ、考え方によっては、全部のひらがなに〇をつけられます。

詳しく知りたい方は、こちら の記事をご覧ください。

 

今回はこの辺で。